texted a ANANYA

メディスンカード・リーディング
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台風、地震で被害にあわれた方へのシェア

 

前回のブログで、日本フラワーエッセンス協会より、豪雨で被災された方へスプレーの無料提供のことを書きましたが、

先日の台風、そして北海道の地震を受けて、期間を10月末までに延長とのことです。

 

https://ameblo.jp/fe-select/entry-12389585231.html

 

わたしのクライアントさんは、関西や近畿地方に多いのですが、北海道の方もいらっしゃいます。

協会から提供しているエッセンスのスプレーは、「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす」というものですが、

この「死」というのは、ご家族や身近な方、動物など生きていた誰かの死というだけでなく、

突然何かを失うという体験、親しいひとと同じくらい大切な何かをなくすこともそうだと思うんです。

 

特にマウントフジのエッセンスは、肉体まわりのこと以外に、感情体などのオーラフィールドや、

時間軸を超えた領域にもはたらきかけてくれます。

 

 

実際のところ、フラワーエッセンスはケミカルなお薬のように、誰でもビビッドに効く、という体感があるわけではないです。

 

エネルギーに敏感な方などはすぐに反応されますが、

たとえば長く自分を抑圧されているひとや、頭でジャッジするのがくせになってしまっているひとなどは特に「よくわからない」とおっしゃいます。

 

実際には、意識に上ってこない領域は調整されているのですが、やはり頭や感覚として実感されないと難しいこともわかります。

 

ただ、ほんとうに苦しいとき、つらいときの気休めになるのなら、とりあえずそれでもいいんじゃないかと思うんです。

この世界には、ちょっと視点を変えれば、ほんとうにたくさんのサポートがある。

そのことに気づくきっかけになるだけでも、いい気がするんです。

 

 

停電になっている地域、電力が限られている地域がまだまだたくさんあると聞きます。

これも届くかどうかわかりませんが、

もし必要であれば、遠慮せずにコンタクトされてくださいませ。

お知り合いの方にも、ぜひシェアしていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | お知らせ | comments(0) | - | - |
日本フラワーエッセンス協会よりシェア〜7月の豪雨で被災された方へ

 

お世話になっている日本フラワーエッセンス協会が、

先月の豪雨で被災された方に、8月末までスプレーを無料で提供させていただいているとのことで、

シェアします。

 

https://ameblo.jp/fe-select/entry-12389585231.html

 

3.11のときに、当時、揺れなかった地域に住んでいる知人から、

正直外国のできごとみたいなんだと言われたんですけど、

そうだよね、体感とか実生活に直接的にかかってこないとなかなか実感がもてない。

今回の豪雨のこと、今度は自分がそんなふうに感じてました。

 

自分のクライアントさんは、わりと関西方面の方が多いこともあるし、

もし必要とされている方、お知り合いの方などいらしたら、

よければコンタクトしてみてください。

 

マウントフジのエッセンス、とてもこころづよく、

最善のはたらきをしてくれるのではないかと思います。

 

| ANANYA | - | comments(0) | - | - |
新しくブログをはじめました。

 

台風、こちらは予報よりも早く去ったっぽいですが、どうでしょうか。

テレビがないので状況わかりませんが、これからの地域の方、じゅうぶんお気をつけくださいませ。

 

そして、タイトルの通り、新しくブログをはじめました。

 

https://ananya.hatenablog.com/archive

 

ここに書いてきた感じとは文体含めかなりちがうと思うので、

ご期待に沿わないかもですが、

よければ。

 

 

今後、このブログの更新についてはわかりません。

新しいほうとは別の感じ、リーディング関連に特化したことなどを書きたくなったときに、といまは思っています。

 

 

というわけで、また。

暑さなどで体調を崩されませんよう、ここちよく☆

 

 

 

 

| ANANYA | お知らせ | comments(0) | - | - |
人間、生活、物語。

 

今日はひさびさになんにもしない日と決めて、のんびりぼんやり過ごしています。

さっき、先日ジャムをつくろうと放っておいたままのりんごをようやく切って、きび砂糖とレモン汁、スパイスをいっしょに鍋に入れ、火にかけました。

 

思えば自分、何かをことこと煮るのが好きだったなあ、最近あんまり煮てないなあ、そういえばこの家に越してから、料理する回数減ったよなあと、もっといえば何かをはじめてもいるけど、やめたというよりやらなくなったことが結構ある。

 

そもそも前の家には16年くらい住んでいて、そんなに長く同じ場所に暮らしたことはこれまでなかったんですよね、で、ここに越すにあたって、なるべくシンプルな生活をしようと電化製品を大量に捨てたんです。

 

テレビはもともとあまりみなくなっていたけど、引っ越しを機に完全に手放し、電子レンジもオーブンもトースターも捨て、掃除機もやめてしまいました。

 

以前の家にくらべて収納場所やキッチンの広さがほぼなくなったこともそうですが、

3.11があって、電気を極力つかいたくないという気持ちになったことが実は大きいです。

 

実際、フライパンとお鍋で全然困らないし、いままで冷凍していたごはんとかも、おかゆにしてみたり炒飯にしてみたり、パンもフライパンで焼けるし、ピタパンとかチャパティもつくれるし。

掃除は、小さなほうきとほこりをとるやつとか雑巾があればじゅうぶん。

 

別に現代便利社会に対するアンチテーゼとかそういうんじゃないんですけど、

なんというか、生活ってなんなんだろうなあという疑問はむかしからあるんですよね、

ほんとに、生活ってなんなんだろうか。

 

正直なところ、なんで生活とかするのかよくわからない、もちろんやるししてるんですけど、ふとしたときに、なんで生活ってするのだろうと考えはじめると、頭がふぁ〜となります(笑)。

 

 

ひとつは、このあまりにも多様で複雑なストーリーにうんざりとして。

 

 

全部ストーリーだと思うと、なんですべてはひとつのあらわれに過ぎないのに、こんなにも壮大で複雑なのだろうと。

なんで物語を続けなきゃなんないのかと。

もっというと、なんで人間とかやってんのかなと。

 

といった話を先日あるひとにしたら、あきらめてください、人間として地球に生きてるのだから、いいかげん受け容れてくださいとたしなめられましたが、それでできたら困らんわい、と。

 

というか、自分でセッションしててもこうしてくださいとかあれこれ言ったりするけど、いくら言われたってできないもんはできないんだよねえと思う、そもそもわかっててもできないからセッションなんか受けにくるわけだもんね。

 

で、そこにはなんらかの理由がある。

 

 

と、そろそろジャムがフィニッシュを迎えそうなのでこのへんで。

 

 

そういえば、きのう洗濯物を干していたら雲が諸々すごかったです、あとうっすら彩雲も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
近況。

 

知人が亡くなった話を書いてから更新していなかったので、

落ち込んだまま〜みたいに思われた方もいらっしゃって、

お気づかいいただいたりしてすみません&ありがとうございます。。

 

落ち込むというよりもいろいろ思うことがあり、いまもときどき考えたりもしますが、それは自然なことだし、

というか、それよりもめちゃめちゃやることが多くて先々週くらいにひさびさに風邪でダウン〜回復&復帰と、まあめまぐるしくやってます。

 

早くも、今年も半分過ぎようとしてますけど、

もうお正月のこともすっかり忘れ去るほど、ほんとに早くて、結構凪いでいるようにみえていろいろ変化していって、

特にこの5月、6月はワークにうってつけの期間だったりして、

わたしももうセルフだけでなくいろいろセッションを受けたり、し合ったりで、

かなり軽くなったなーと感じてます。

 

今年はほんとに自分の望むほうへ転換するひとにとって、追い風が吹いてくれてる感がすごいあるので、

後半もまだまだいけるし、はらきめて行ってくださいませ!

 

 

というわけで、

ちょっと近況報告でした。

 

関東地方、梅雨が明けたとのこと、早すぎじゃね?? って気がしてますけど、

とりあえず湿気&暑いので、

熱射病など気をつけつつ。

 

ではまた☆

 

 


 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
untitled

 

寝てから2時間くらいで目が覚めてしまって、

そのままぐずぐずとふとんのなかで調べものをしていると、

知人が亡くなった記事に出会い、

結局眠れなくなって、

起き出して書いています。

 

一昨年知り合ったひとで、二度目に会ったときには体調を崩していて、それからしばらくして連絡をしたときには、実家で静養しているとのことで、またこっちに戻ったらランチでもしましょう、と約束してそのままになっていて、その後は共通の知人に会うたびに近況を聞いたりして、とにかく回復を待っていました。

 

先々月だったか、彼女がこっちに戻ってきたという話を聞いて、ただかなりエネルギーが落ちてしまって、小さくなっていたとのことで、なんとなくすぐに連絡をするのも…と思い、そのときは見合わせていたのですが、

先月、何度か連絡しようと思いつつ、というかこの数ヶ月、特に5月は静かに激動というか、時間的ないそがしさもあって、

もうすこし落ち着いてから、と思っていたのでした。

 

病気については、家族以外の誰にも言わなかったそうです。

彼女と直接やりとりしていたときには、病気ではなく、

別の理由から起こった体調不良で、どうにかならないかといろいろ試しつつ、

精神的な気づきがたくさんあったので、それはとてもよかった、

来年には戻ってこれそうだと書かれていました。

そのころはまだ、その病気であることは発覚していなかったようでした。

 

 

実は先月も、恩師が亡くなっていたことを、やはり調べものの途中で知ったのでした。

彼は外国人で海外に住んでいることもあり、

日本語もつかわないし、仕方ないといえば仕方ないのですが、

それでも連絡網はあったでしょうよと。

 

といっても、自分に何かできたわけではないけれど、

でもさ、あんたらのしごとはそもそも何さ(笑)、

と思うとどうしようもないもどかしさと、

無力感というか、

さびしさ、ですかね。

 

そして、もっといろいろ話をしたかった。

いまだから聞きたいことが、たくさんあったんだよね、って。

 

 

きのうの夕方、30年来の親友と電話で話していて、

彼女のお父さんが余命宣告されたこと、

彼女のだんなさんの上司のご家族が急に亡くなって今日お葬式だということを、

聞いたばかりでした。

お父さんのことは、すこしずつ覚悟していけるからまだいい、

なんて話してたんですよね。

 

 

よくいわれることですけど、

ひととのつながりって、時間じゃないですね。

肉体として、二度とふれあえなくなったときに

それがよくわかる。


 

 

ほんとはここに、最近再開した呼吸法のことを書こうとずっと思ってたんです。

そこからの流れについても、興味深いことがあったので。

でもゆっくり何かを書く時間がとれなくて。

そして、いま思い出した。

そういえば彼女は、わたしのブレスワークを受けてみたいって言ってたな、って。
 

くやしいですね(笑)。

もちろん、それで何かできたわけではないにしろ。

 

 

 

止まらなくなるのでまた。

ちょっと寝て、

今日することをします。

 

今年前半の最後の月のはじまり。

時間は関係ないけれど。

 

 

素敵な6月を☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
覚書的に。水星逆行の恩恵?

 

いま確認したら、3月は一度も更新してなかったのですね、それなのにチェックしてくださっている方々、すみません

&ありがとうございます(って、そんな出だしばっかりですね…)。

 

ここしばらく、仕事とかイベントとか、表立ってすること、活動? を積極的にやったり告知したりアピールしたりする感じではなく、以前のように公にメディスンを出すこともしなくなっていて、いわゆるアウトプットの時期ではないんでしょうね、勉強、研究、探求が主になっています。あといろんな整理。

 

前にも書いたかもですが、リーディングなどの個人セッションも、その方の状態に合わせてやることがちがってきて、もはやカードをつかわないこともあったり、

フラワーエッセンスのほうも飲用ではないタイプのものや、セルフワーク用に海外へオーダーメイドしたものなども、取り入れたりしています。

 

と、こうしてあらためて書いてみると、諸々変化はしているんだなあと思うのですが、こんなことをはじめました! とかたちにして提示、という感じでもまだなく、出す時期みたいなときがきたらそうするんだろうと、放っておいています。

 

以前だったら、やらなきゃ決めなきゃ伝えなきゃ、と「〜しなければ」思考である意味ちから技でまとめる、みたいにやってた面がわりとあって、勝手に背負った責任感のようなものから動くことで、逆に自分にプレッシャーをかけて疲弊することも多々(もちろんそれがいい感じの方向へ展開するきっかけになることもあります)。

 

そもそもの自分の気質を“狩り”にたとえるなら、とりあえずあるもの持って馬にまたがり走り出し、途中で何か拾ったりして武器つくりながら獲物に向かっていく感じ、とひとに説明してたりもしましたが、これまでの人生、ほとんどそうやってきた気がしています(自分生きてる! って感じがしたりもするんですけどね笑)。

 

もしかしたらいま、生まれてはじめて熟考というか、必要なことやものを吟味しながら熟すのを待つ、みたいなことをしてるのかも、と書いていて思いました。

それがいいとかわるいとか正解!とかではもちろんなく、でも自分にとって、結構新鮮な感じみたいです。

 

 

で、勉強仕事含めなんだかんだと忙しくて、さすがにからだがだめで、先日ひさびさに吐き気をともなう頭痛でもう死ぬんじゃないかなと思ったりして、頭痛薬も全然きかないし、セルフワーク&きのう鍼灸に行ってずいぶんらくになり、あーほんとに健康って大事、痛みだけでなくだるさや重さがあるだけでもつらいし、気分もものすごく左右されますよね。

 

思うように動けない、という思考的感情的なこともそうだし、物理的にからだの機能、自律神経をはじめ神経伝達物質やホルモンのバランス、血流やリンパなど体液の流れ、酸素をきちんと取り込めないとか必要ないものをうまく出せないとか、つまり本来の調子、各々の細胞の動きが最適じゃなければ、いろんな部分に支障が出てくるわけで、そのことによって起こるつらさ、痛み、それ自体が大きなストレスになってまた自律神経のバランスが崩れて…みたいな悪循環、もう健康になりたいよーーーと全世界に宣言したい気分でした。

 

 

ひさびさに書いてることもあり長くなっていますが、続けます。

 

 

はりのあとは、これまたひさびさに、非二元のミーティングに行ってきました。

ここしばらく、本もあんまり読めてないし、勉強、研究の内容が、近いようで実はまったく遠いというか、結局のところそれもまたストーリーだとわかっていつつも、それこそからだの痛みやこころのことをどうしたらいいのさ? といった問題(あえて)や根本的な生きづらさに対することを追求すればするほど、“それ”から離れていくというパラドックス、それもわかっているけど、でも、、、なんですよね。

 

けれどもやっぱり、自分の知りたいこと、在りたい姿、場所(あえて)はどこか何かといえば、やっぱり本質、というか本来の姿、いやもっとシンプルに、ほんとのこと、なんだよねーと。

そんなわけで、行ってきたのでした。

 

 

で、また後日くわしく書くかもしれないし、いつも通り書かないのかもしれないのですが、

ちょっと、みえた気がしてるかも、と。

 

 

痛みや苦しみ、どうしたらいいのかという疑問、それは幼少期に起こったいわゆるトラウマに起因していたり、生まれる前、お母さんのおなかのなかで起こっていたことだったり、さらにそれ以前、過去生というものからはじまっていることだったりと、そう、理由があるんですよね、なぜならストーリーだから。

 

けれども本来の自分にはそうしたものがない。語るものも語られるものもない、語るなにものをもないんですよねえ。。

 

 

リーディングとは何か、ヒーリングとは何か、誰が誰の何に対してそれをするのか、すべてがストーリーであること、癒すも何もすべてただ起こっていること、発生しているだけの事象だという“理解”、そのパラドックスに実はずっと引っかかっていて、たとえば去年ロスくんだりまで行って勉強したにもかかわらず、それをはじめとして学んださまざまなことを「こういうことをやってます、はじめます」とアナウンスしないのには、自分にとってそうした折り合いがつかないということが、やっぱり大きかったんですよね。

 

 

なんでもそうですけど、ひとから学べるものって知識や技術だから、その習得にかかる時間や程度の差こそあれ、基本はみんなできるんですよ、だからひと通り学べばとりあえずはやれる、効果も出る(成果、というケースもありますよね、、これ深くない?笑)、その前提で教科書もカリキュラムもつくられているわけだから。

 

でもできない、やろうとしない、というか、やる方向へ動かないなら、そこにはひとそれぞれの理由というものがやっぱりある(これもストーリーですが…)。

 

 

って、話がちがう方向に動きつつありますが(笑)、

きのうのミーティングで、そのパラドックスに関するあくまでも自分なりの折り合いがつきそうかも、だからといってやるかやらないかはまたちょっと別の話なのだけど、でもすっきり感が出てきた。だからなのかわからないけれど、なんだかとてもおだやかな気分で、この感覚も、とてもひさしぶりなのです。

 

 

あれこれ思っていても結局は、こうしたおだやかさを求めてるだけなんじゃないですかね、そしてそうなるためのあれこれ。

 

わくわくしたい、生きているという実感みたいなもの、よろこびとか楽しさといった、なかでもどちらかといえば刺激的だったりパワフルな感覚はもちろん、そうした感覚を感じて味わっている自分を、ふと眺めて愛しいとおもう、それは圧倒的なよろこびというよりも、静かで、まさに永遠の一瞬ともいうべきいつまでもどこまで続く、絶え間ない普遍的なものなのじゃないか、ほんとうに求めているのって、非二元がどうとか一切関係なくそっちなんじゃないのかな、と思ったりします。

 

それはなんというか、不動なんですよねえ、揺らぐことがない、言葉にうまくできないけれども動きようのないもの、たとえようのないもの。

 

 

このテキストのタイトルに水星逆行の恩恵、と入れましたけど、先月後半くらいからなんか連絡が遅いなーむしろ自分のほうが返信とか全然できない感じ…と思って調べるとまさに逆行中なんですね、星の動きとか占星術とかみなくなってからひさしいですがこれだけはやっぱり感じてしまう。

 

でも、この期間って、過去のあれこれを再度みるみたいなことがほんとに自分は多くて、すごく考えたり振り返ったりできるのでいいなと思っています。

 

これもパラドックスですけども、過去についてのワークをするのに最適だし、今回はほんと、いつからか感じられなくなっていたこのおだやかさを思い出す、そこに戻ったら? と提案されてる感じがして、ちょっと書いてみました。

 

 

というわけで、今回はこのへんで。

また☆

 

 

 

 

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chiledhood

 

先日、セッションにいらしてくださった方から、桃の花をいただきまして、日々花ほころびとても和んでいます。

 

 

 

 

いただいたときは、まだひとつ開きかけがあった以外は全部蕾だったのですが、毎日どんどん開いてきて、活けてから開きはじめるのをやっぱり想定してお店に出すわけですよね花屋さん、その裁量はすごいなあとか、それをうちに運んでくれた方、花瓶に活けてその直後からむくむく動きはじめてる桃自身とか、それらすべてのタイミングに唸るばかりです。

 

すんごい些細なことなんだけど、なんかのきっかけで普段はまったく意識することもないその背景をみてみると、やっぱり全体性について思うんですよね。

 

 

こどものころって、全体性が〜とか裁量が〜とかタイミングが〜なんていちいち分けたりせず、ただその不思議さに立ち止まって目を輝かせ、わくわくどきどきともっともっと知りたい!と世界を探っていったんですよねーどの子にもそんな時間があったはず。

 

そんなふうにして日々生きることはできないかもしれないけれど、

まったく同じようにものごとをとらえる感覚って、消えることはないんじゃないかと思う。

ただ、くもらされてしまったり、自ら閉じているだけで。

 

で、そこには不安や疑念、おそれ、といったものが関与してる。

 

疑うべきものを疑わず、疑う必要のないものを疑ってしまう、

なんだか、あらためて生きづらい時代(あえて)になってるよなあと思う。

 

正しいとか間違ってるとか、そんな判断いやむしろ判定といってもいい、

とにかくそこに“正解”なんてないわけで、

探すべくは、ほんとに起こってること、それだけなんじゃないかと。

 

 

これってどうなってるんだろう? って、

無心に知り自分の手と目と耳と舌と鼻、

そして直観とでただ知ろうとするこどものころのように。

 

 

というわけで、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
GIFT☆

 

ここのところ生活の見直しとかこれからの時間のこととかを念頭に、いろんな整理ややろうと思ってやってなかったこと、のなかに入っている勉強をやってるんですけど、楽しいですなあ勉強って。

というか、学びたいことを学ぶってこんなに楽しいものなんだなあって。

 

 

いわゆる学校教育についてはもういろんなひとがいろんなことを日々いろんなところで語ったり提案したり自らはじめたりしてますが、いま自分が学びたいことを学んでいるからほんとに思う、最初にひととおり教科を学ぶことはいいと思う、けどそれはあくまでも、この先ほんとに学びたいこと、やってみたいことをみつけるための材料とか目安としての、ある意味サンプル的なものであってほしい、そういう教え方をしてほしかったですわたしは。

 

すべての教科で高得点とらなくたって、卒業してから全然困ったことないし、困ってないものいまも。

 

 

で、今日受けてきた講座がもうめちゃめちゃ楽しくて、終わって教室を出たらしばらく会っていなかった知人から声をかけられて、同じ講座を受けていたと。

なんかそういう偶然もすごいよくて、うきうきしながら帰ってきたんですけど、部屋に戻ってPCの電源を入れると、PCの上に何か光るものが。

 

 

 

 

 

チョコレートの包み紙の切れ端か何かかなと思ってつまんだら、なんと金箔でした。

 

いままでも、まったく覚えのないものがかばんに入ってたり部屋に突然あったり、ということはときどきあったのですが、ひさびさだったのと、ものがものだけにいつも以上になんかうれしい(笑)。

 

って、もともと持ってるものからはがれたんじゃないの? とか、どっかにくっついて運ばれてきただけじゃないの? とか思われる方もいるかもですけど、とりあえず自分はほんとにまったく身に覚えがないのです&いちおうこの金箔についての情報にアクセス&筋反射で調べてみたところ、やっぱりギフトだと。

 

 

でもさ、どうでもいいとおもうんですよ、それがどんないきさつでここにあらわれようと。

大事なのは、いま、目の前に、それがあって、自分がそのことで何を感じたのか、どうとらえるのか。

その感情や思考の発生の源泉のほうが、よほど、それこそ現実的に意味を持ってる。

 

なぜなら、その感情や思考が“次の動き”、つまり自分、世界をつくっていくのだから。

 

 

わかってもらえなくても別にOK、とりあえず自分はすごいうれしいし、わくわくしてる、

そこにちゃちゃをいれたり、疑念や不安やおそれのほうにつれて行こうとするひとよりも、

いっしょにその不思議さを楽しんだり面白がってくれるひとといたほうが楽しいよ、

って思う。

 

結局、自分、なんだよね。

 

 

ほんとに今年は飛ばしすぎじゃね?? というような話題も多いですけども、

そこから自分はどんな世界をみるのか、みていきたいのか。

 

 

というわけで、また☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年1月25日

 

あけまして、だいぶ経ちました、チェックしてくださっている方、毎度すいません&ありがとうございます!

 

いまスタバでこれを書いてるんですけど、集中して作業したいときや本を読みたいときは自転車で川を越えて隣の区のカフェや喫茶店までwifi求めて行くのです。

 

で、あんまり遠くへ行きたくないときは、近所の大きなテーブルのあるフードコートでコーヒーやおやつを買ってPCを開くのですが、今日はなんとなく、普段ほとんど行かないスタバに行ってみようかでもテーブル小さいしなと思いつつ、席もまあまあ空いていたので入り、コーヒーをたのんでお金を払うと店員さんが、お客さま、この長いレシートをご覧になったことがありますか、と問うので、いえありませんとこたえると、実はこのレシートは当たりなんです、と。

 

これはとてもめずらしいんです、あんまり出ないんです、このバーコードにアクセスして四角のなかに数字を…と、説明を聞きながら、やったね、スタバの好きな飲み物がもらえる! というよりももっと深い意味やさらにかくされた何かがあるのではないかと勘ぐってしまうほど、レシートを指差しながら淡々と語る店員さんの雰囲気に引き込まれ、不思議な気持ちになりながら席に着いたところです。

 

 

とりあえず「当たり」を引いて幸先いい感じですけど、今年は1月からみんな飛ばしてるなーと知人が言っていた通り、ほんといろいろ起こってますよね、わたしも年明け早々お店にリュックサック忘れてとりにかえったり、お財布落として拾ってもらったり、買ったパンを置き忘れてとりにもどったりと確かに飛ばしています。

 

 

去年の終わりくらいから、なんとなく今後の自分、つまりずいぶんと死のほうに近くなった自分、時間感覚がこれから、というより残り感のほうが強くなって、さてどのようにつかっていこうか、と、生のフォーメーションの組み替えみたいなことについて考えはじめてるんですよね、で、年が明けていろんな事件や、ひとが亡くなったりしてることもあり、考えるというよりもさらなる自問を。

 

ほんとはお正月にやろうと思っていたこともやらずに、結局ずっとやろうと思いつつやれなかった別のことをはじめたり、めんどくさかったことに手をつけてく、そんな感じで自分の今年ははじまってますね。

 

 

今年ほど年末感と年明け感が薄い年もないよ、というほど実感がなかったんですけど、確実に意識下は移り変わってるというか動いてんだなーと。

実際、変化とか動いてる最中って気づかないんですよね、あとでわかる感じ、というか、実はわからないままにいることも多い。

 

というか、なんか今年は、変化の感触みたいなものが、これまでとはちょっとちがう気がしてます。

たまごの殻にひびがぴしりぴしりと入ってく感じとか、

何が出てくるかはおたのしみ(?)、で。

 

 

そんな感じもあり、ずっとはじめようと思っていた10年メモをいよいよ購入、年末から2017年のワクを自分でつくって書きはじめました。

 

 

 

 

 

 

別の色を買うつもりだったんですけど、これ10年つかうんだよね、、と思ったら何か重厚さがあるほうがいい気がしたのでブラックを。

 

日記ではなくメモ、今日1日のどの部分を抽出し書き置くのか、自分のチョイスの傾向を知るのも目的だったりします。

自分の手で書くことの利点、効果、可能性、なんでもいいですが、そこからみえてくること、ひろがっていくことってすごいたくさんあると思う。

手の動き、ちからの加減、感触、そこに書きつけられてゆく言葉、文字のかたち、なかに発生した言葉以外の何かとそれらを今度は目でみたり。

 

結局自分がそれをどうみるかどうとらえるか、なんですよね、どんなことでもやっぱり。

 

 

というわけで、

今年どう動いていくのかわかりませんけれども、

いい感じのほうへハンドルを切るのはやっぱり自分なのだということで、

また!

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
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