texted a ANANYA

メディスンカード・リーディング
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覚書的に。水星逆行の恩恵?

 

いま確認したら、3月は一度も更新してなかったのですね、それなのにチェックしてくださっている方々、すみません

&ありがとうございます(って、そんな出だしばっかりですね…)。

 

ここしばらく、仕事とかイベントとか、表立ってすること、活動? を積極的にやったり告知したりアピールしたりする感じではなく、以前のように公にメディスンを出すこともしなくなっていて、いわゆるアウトプットの時期ではないんでしょうね、勉強、研究、探求が主になっています。あといろんな整理。

 

前にも書いたかもですが、リーディングなどの個人セッションも、その方の状態に合わせてやることがちがってきて、もはやカードをつかわないこともあったり、

フラワーエッセンスのほうも飲用ではないタイプのものや、セルフワーク用に海外へオーダーメイドしたものなども、取り入れたりしています。

 

と、こうしてあらためて書いてみると、諸々変化はしているんだなあと思うのですが、こんなことをはじめました! とかたちにして提示、という感じでもまだなく、出す時期みたいなときがきたらそうするんだろうと、放っておいています。

 

以前だったら、やらなきゃ決めなきゃ伝えなきゃ、と「〜しなければ」思考である意味ちから技でまとめる、みたいにやってた面がわりとあって、勝手に背負った責任感のようなものから動くことで、逆に自分にプレッシャーをかけて疲弊することも多々(もちろんそれがいい感じの方向へ展開するきっかけになることもあります)。

 

そもそもの自分の気質を“狩り”にたとえるなら、とりあえずあるもの持って馬にまたがり走り出し、途中で何か拾ったりして武器つくりながら獲物に向かっていく感じ、とひとに説明してたりもしましたが、これまでの人生、ほとんどそうやってきた気がしています(自分生きてる! って感じがしたりもするんですけどね笑)。

 

もしかしたらいま、生まれてはじめて熟考というか、必要なことやものを吟味しながら熟すのを待つ、みたいなことをしてるのかも、と書いていて思いました。

それがいいとかわるいとか正解!とかではもちろんなく、でも自分にとって、結構新鮮な感じみたいです。

 

 

で、勉強仕事含めなんだかんだと忙しくて、さすがにからだがだめで、先日ひさびさに吐き気をともなう頭痛でもう死ぬんじゃないかなと思ったりして、頭痛薬も全然きかないし、セルフワーク&きのう鍼灸に行ってずいぶんらくになり、あーほんとに健康って大事、痛みだけでなくだるさや重さがあるだけでもつらいし、気分もものすごく左右されますよね。

 

思うように動けない、という思考的感情的なこともそうだし、物理的にからだの機能、自律神経をはじめ神経伝達物質やホルモンのバランス、血流やリンパなど体液の流れ、酸素をきちんと取り込めないとか必要ないものをうまく出せないとか、つまり本来の調子、各々の細胞の動きが最適じゃなければ、いろんな部分に支障が出てくるわけで、そのことによって起こるつらさ、痛み、それ自体が大きなストレスになってまた自律神経のバランスが崩れて…みたいな悪循環、もう健康になりたいよーーーと全世界に宣言したい気分でした。

 

 

ひさびさに書いてることもあり長くなっていますが、続けます。

 

 

はりのあとは、これまたひさびさに、非二元のミーティングに行ってきました。

ここしばらく、本もあんまり読めてないし、勉強、研究の内容が、近いようで実はまったく遠いというか、結局のところそれもまたストーリーだとわかっていつつも、それこそからだの痛みやこころのことをどうしたらいいのさ? といった問題(あえて)や根本的な生きづらさに対することを追求すればするほど、“それ”から離れていくというパラドックス、それもわかっているけど、でも、、、なんですよね。

 

けれどもやっぱり、自分の知りたいこと、在りたい姿、場所(あえて)はどこか何かといえば、やっぱり本質、というか本来の姿、いやもっとシンプルに、ほんとのこと、なんだよねーと。

そんなわけで、行ってきたのでした。

 

 

で、また後日くわしく書くかもしれないし、いつも通り書かないのかもしれないのですが、

ちょっと、みえた気がしてるかも、と。

 

 

痛みや苦しみ、どうしたらいいのかという疑問、それは幼少期に起こったいわゆるトラウマに起因していたり、生まれる前、お母さんのおなかのなかで起こっていたことだったり、さらにそれ以前、過去生というものからはじまっていることだったりと、そう、理由があるんですよね、なぜならストーリーだから。

 

けれども本来の自分にはそうしたものがない。語るものも語られるものもない、語るなにものをもないんですよねえ。。

 

 

リーディングとは何か、ヒーリングとは何か、誰が誰の何に対してそれをするのか、すべてがストーリーであること、癒すも何もすべてただ起こっていること、発生しているだけの事象だという“理解”、そのパラドックスに実はずっと引っかかっていて、たとえば去年ロスくんだりまで行って勉強したにもかかわらず、それをはじめとして学んださまざまなことを「こういうことをやってます、はじめます」とアナウンスしないのには、自分にとってそうした折り合いがつかないということが、やっぱり大きかったんですよね。

 

 

なんでもそうですけど、ひとから学べるものって知識や技術だから、その習得にかかる時間や程度の差こそあれ、基本はみんなできるんですよ、だからひと通り学べばとりあえずはやれる、効果も出る(成果、というケースもありますよね、、これ深くない?笑)、その前提で教科書もカリキュラムもつくられているわけだから。

 

でもできない、やろうとしない、というか、やる方向へ動かないなら、そこにはひとそれぞれの理由というものがやっぱりある(これもストーリーですが…)。

 

 

って、話がちがう方向に動きつつありますが(笑)、

きのうのミーティングで、そのパラドックスに関するあくまでも自分なりの折り合いがつきそうかも、だからといってやるかやらないかはまたちょっと別の話なのだけど、でもすっきり感が出てきた。だからなのかわからないけれど、なんだかとてもおだやかな気分で、この感覚も、とてもひさしぶりなのです。

 

 

あれこれ思っていても結局は、こうしたおだやかさを求めてるだけなんじゃないですかね、そしてそうなるためのあれこれ。

 

わくわくしたい、生きているという実感みたいなもの、よろこびとか楽しさといった、なかでもどちらかといえば刺激的だったりパワフルな感覚はもちろん、そうした感覚を感じて味わっている自分を、ふと眺めて愛しいとおもう、それは圧倒的なよろこびというよりも、静かで、まさに永遠の一瞬ともいうべきいつまでもどこまで続く、絶え間ない普遍的なものなのじゃないか、ほんとうに求めているのって、非二元がどうとか一切関係なくそっちなんじゃないのかな、と思ったりします。

 

それはなんというか、不動なんですよねえ、揺らぐことがない、言葉にうまくできないけれども動きようのないもの、たとえようのないもの。

 

 

このテキストのタイトルに水星逆行の恩恵、と入れましたけど、先月後半くらいからなんか連絡が遅いなーむしろ自分のほうが返信とか全然できない感じ…と思って調べるとまさに逆行中なんですね、星の動きとか占星術とかみなくなってからひさしいですがこれだけはやっぱり感じてしまう。

 

でも、この期間って、過去のあれこれを再度みるみたいなことがほんとに自分は多くて、すごく考えたり振り返ったりできるのでいいなと思っています。

 

これもパラドックスですけども、過去についてのワークをするのに最適だし、今回はほんと、いつからか感じられなくなっていたこのおだやかさを思い出す、そこに戻ったら? と提案されてる感じがして、ちょっと書いてみました。

 

 

というわけで、今回はこのへんで。

また☆

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
chiledhood

 

先日、セッションにいらしてくださった方から、桃の花をいただきまして、日々花ほころびとても和んでいます。

 

 

 

 

いただいたときは、まだひとつ開きかけがあった以外は全部蕾だったのですが、毎日どんどん開いてきて、活けてから開きはじめるのをやっぱり想定してお店に出すわけですよね花屋さん、その裁量はすごいなあとか、それをうちに運んでくれた方、花瓶に活けてその直後からむくむく動きはじめてる桃自身とか、それらすべてのタイミングに唸るばかりです。

 

すんごい些細なことなんだけど、なんかのきっかけで普段はまったく意識することもないその背景をみてみると、やっぱり全体性について思うんですよね。

 

 

こどものころって、全体性が〜とか裁量が〜とかタイミングが〜なんていちいち分けたりせず、ただその不思議さに立ち止まって目を輝かせ、わくわくどきどきともっともっと知りたい!と世界を探っていったんですよねーどの子にもそんな時間があったはず。

 

そんなふうにして日々生きることはできないかもしれないけれど、

まったく同じようにものごとをとらえる感覚って、消えることはないんじゃないかと思う。

ただ、くもらされてしまったり、自ら閉じているだけで。

 

で、そこには不安や疑念、おそれ、といったものが関与してる。

 

疑うべきものを疑わず、疑う必要のないものを疑ってしまう、

なんだか、あらためて生きづらい時代(あえて)になってるよなあと思う。

 

正しいとか間違ってるとか、そんな判断いやむしろ判定といってもいい、

とにかくそこに“正解”なんてないわけで、

探すべくは、ほんとに起こってること、それだけなんじゃないかと。

 

 

これってどうなってるんだろう? って、

無心に知り自分の手と目と耳と舌と鼻、

そして直観とでただ知ろうとするこどものころのように。

 

 

というわけで、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
GIFT☆

 

ここのところ生活の見直しとかこれからの時間のこととかを念頭に、いろんな整理ややろうと思ってやってなかったこと、のなかに入っている勉強をやってるんですけど、楽しいですなあ勉強って。

というか、学びたいことを学ぶってこんなに楽しいものなんだなあって。

 

 

いわゆる学校教育についてはもういろんなひとがいろんなことを日々いろんなところで語ったり提案したり自らはじめたりしてますが、いま自分が学びたいことを学んでいるからほんとに思う、最初にひととおり教科を学ぶことはいいと思う、けどそれはあくまでも、この先ほんとに学びたいこと、やってみたいことをみつけるための材料とか目安としての、ある意味サンプル的なものであってほしい、そういう教え方をしてほしかったですわたしは。

 

すべての教科で高得点とらなくたって、卒業してから全然困ったことないし、困ってないものいまも。

 

 

で、今日受けてきた講座がもうめちゃめちゃ楽しくて、終わって教室を出たらしばらく会っていなかった知人から声をかけられて、同じ講座を受けていたと。

なんかそういう偶然もすごいよくて、うきうきしながら帰ってきたんですけど、部屋に戻ってPCの電源を入れると、PCの上に何か光るものが。

 

 

 

 

 

チョコレートの包み紙の切れ端か何かかなと思ってつまんだら、なんと金箔でした。

 

いままでも、まったく覚えのないものがかばんに入ってたり部屋に突然あったり、ということはときどきあったのですが、ひさびさだったのと、ものがものだけにいつも以上になんかうれしい(笑)。

 

って、もともと持ってるものからはがれたんじゃないの? とか、どっかにくっついて運ばれてきただけじゃないの? とか思われる方もいるかもですけど、とりあえず自分はほんとにまったく身に覚えがないのです&いちおうこの金箔についての情報にアクセス&筋反射で調べてみたところ、やっぱりギフトだと。

 

 

でもさ、どうでもいいとおもうんですよ、それがどんないきさつでここにあらわれようと。

大事なのは、いま、目の前に、それがあって、自分がそのことで何を感じたのか、どうとらえるのか。

その感情や思考の発生の源泉のほうが、よほど、それこそ現実的に意味を持ってる。

 

なぜなら、その感情や思考が“次の動き”、つまり自分、世界をつくっていくのだから。

 

 

わかってもらえなくても別にOK、とりあえず自分はすごいうれしいし、わくわくしてる、

そこにちゃちゃをいれたり、疑念や不安やおそれのほうにつれて行こうとするひとよりも、

いっしょにその不思議さを楽しんだり面白がってくれるひとといたほうが楽しいよ、

って思う。

 

結局、自分、なんだよね。

 

 

ほんとに今年は飛ばしすぎじゃね?? というような話題も多いですけども、

そこから自分はどんな世界をみるのか、みていきたいのか。

 

 

というわけで、また☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年1月25日

 

あけまして、だいぶ経ちました、チェックしてくださっている方、毎度すいません&ありがとうございます!

 

いまスタバでこれを書いてるんですけど、集中して作業したいときや本を読みたいときは自転車で川を越えて隣の区のカフェや喫茶店までwifi求めて行くのです。

 

で、あんまり遠くへ行きたくないときは、近所の大きなテーブルのあるフードコートでコーヒーやおやつを買ってPCを開くのですが、今日はなんとなく、普段ほとんど行かないスタバに行ってみようかでもテーブル小さいしなと思いつつ、席もまあまあ空いていたので入り、コーヒーをたのんでお金を払うと店員さんが、お客さま、この長いレシートをご覧になったことがありますか、と問うので、いえありませんとこたえると、実はこのレシートは当たりなんです、と。

 

これはとてもめずらしいんです、あんまり出ないんです、このバーコードにアクセスして四角のなかに数字を…と、説明を聞きながら、やったね、スタバの好きな飲み物がもらえる! というよりももっと深い意味やさらにかくされた何かがあるのではないかと勘ぐってしまうほど、レシートを指差しながら淡々と語る店員さんの雰囲気に引き込まれ、不思議な気持ちになりながら席に着いたところです。

 

 

とりあえず「当たり」を引いて幸先いい感じですけど、今年は1月からみんな飛ばしてるなーと知人が言っていた通り、ほんといろいろ起こってますよね、わたしも年明け早々お店にリュックサック忘れてとりにかえったり、お財布落として拾ってもらったり、買ったパンを置き忘れてとりにもどったりと確かに飛ばしています。

 

 

去年の終わりくらいから、なんとなく今後の自分、つまりずいぶんと死のほうに近くなった自分、時間感覚がこれから、というより残り感のほうが強くなって、さてどのようにつかっていこうか、と、生のフォーメーションの組み替えみたいなことについて考えはじめてるんですよね、で、年が明けていろんな事件や、ひとが亡くなったりしてることもあり、考えるというよりもさらなる自問を。

 

ほんとはお正月にやろうと思っていたこともやらずに、結局ずっとやろうと思いつつやれなかった別のことをはじめたり、めんどくさかったことに手をつけてく、そんな感じで自分の今年ははじまってますね。

 

 

今年ほど年末感と年明け感が薄い年もないよ、というほど実感がなかったんですけど、確実に意識下は移り変わってるというか動いてんだなーと。

実際、変化とか動いてる最中って気づかないんですよね、あとでわかる感じ、というか、実はわからないままにいることも多い。

 

というか、なんか今年は、変化の感触みたいなものが、これまでとはちょっとちがう気がしてます。

たまごの殻にひびがぴしりぴしりと入ってく感じとか、

何が出てくるかはおたのしみ(?)、で。

 

 

そんな感じもあり、ずっとはじめようと思っていた10年メモをいよいよ購入、年末から2017年のワクを自分でつくって書きはじめました。

 

 

 

 

 

 

別の色を買うつもりだったんですけど、これ10年つかうんだよね、、と思ったら何か重厚さがあるほうがいい気がしたのでブラックを。

 

日記ではなくメモ、今日1日のどの部分を抽出し書き置くのか、自分のチョイスの傾向を知るのも目的だったりします。

自分の手で書くことの利点、効果、可能性、なんでもいいですが、そこからみえてくること、ひろがっていくことってすごいたくさんあると思う。

手の動き、ちからの加減、感触、そこに書きつけられてゆく言葉、文字のかたち、なかに発生した言葉以外の何かとそれらを今度は目でみたり。

 

結局自分がそれをどうみるかどうとらえるか、なんですよね、どんなことでもやっぱり。

 

 

というわけで、

今年どう動いていくのかわかりませんけれども、

いい感じのほうへハンドルを切るのはやっぱり自分なのだということで、

また!

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
自分、座、場、戻る、すわる

 

毎年、年末には自分1年おつかれ会ということで、からだにいい何かのトリートメントやセッションを受けに行くのですが、今年はヴェレダのリズムオイリングを。

 

先週、今週、特に忙しく、ちょっと難聴気味になってたりするくらい負荷がすごかったんです。

リーディング含む仕事の時間だけ一点凝縮集中するので、その集中と緊張とそれらが解け緩和の自然なリズム完全変則、当然自律神経、macでいったらレインボーサークルがくるくる回ってるイメージで、これ結構やばいなーという感じだったので、リズムオイリングは初だし、どのくらい戻るかなーと思いつつ、仕事納めの翌日のせいもあり、頭のぼんやり感MAXの状態でサロンへ。

 

で、これがすごいよかった。最初の足湯からすでにここちよくて、ああこういう時間、最近全然とれてなかったなあと、どんどんからだがバランスを取り戻しはじめているのがわかる感じ。

この時点で、とりあえずうちに帰ったらあの服とあの服とあの服を捨てよう、と決めたりしました(笑)。

 

実際のトリートメントは、スイスの病院(名前失念)で治療として行われているものだそうで、すごくシンプルで、途中何度も寝落ちするくらい終始安心感に包まれているというか、ひとって、ほんとはこうした感覚のなかに生きてるもの、そなわってるものなんだよなーと思いました。

それが、なんらかの理由でこわれ失われたように感じてしまう、切り離されてしまう。

 

 

終了後にヒッポファンのエリキシールをお湯割りでいただいたのですが、お味噌汁みたいでこれもよかったです。

その後ランチへ。

 

こんなときは動物を食べたくないので、ときどき行ってるヴィーガン、マクロビのお店へと思いつつ、知ってるお店はすでに全部お休み。でも、なんか適当なもの食べたくないしなーと、路線がちょっとはずれるのがストレスだったものの、行きたかったところへ。

 

 

そこは、以前とあるカフェをやっていたひとが、平日のランチのみ、間借りでやっているお店。

そのカフェはもともとちょっと遠くかつ行きづらい場所にあったので、年に1、2度くらいしか行けなかったのですが、2年くらい前にほんの少しだけ行きやすくなった場所に移転してから、ちょっと雰囲気やごはんの感じが変わって、それはそれで悪くないものの、なんとなく足が遠のいていたんですね。

 

で、もともとそのカフェで調理をしていたひとが別のところ、しかも間借りで営業しているとの情報を数日前に知って、なるほどーそりゃ変わるわけだ、と。

で、行ってきたのですが、ほんとに行ってよかったと。

 

まだ情報がそれほど届いていないのか年末ゆえなのか営業形態のせいなのか、お客さんが自分ともうおひとりのみだったこともあり、帰り際にちょっと話をしたんですけど、カフェを離れてからのストーリーを聞いて、ああいろいろあったんだなーと。

 

彼女の「やっぱり、料理をつくりたいと思ったんですよね」という言葉にぐっとくるものがあり、だいぶ近くなったし、通える限り通いますから! と言って帰ってきました。

 

ひとって、自分の居場所みたいなものを外に探すけど、結局は自分が自分に住まうというか、戻るというか、一体になるというか、据わる、みたいなことなんだろうなと、あらためて思います。

 

なにもしなくても、守られているとほんとは意識する必要もなくある安心感、とさえ名付ける必要すらない感覚。

足湯をしてもらったときにすっと戻っていった、あの座、場、それが本来の自分のところなんだよな、と。

 

 

そんなわけで今年も今日で終わりですが、

わたしはきのう、ずっと欲しいと思っていたあるものを、amazonのプライム会員になってようやく注文し、さっき届けてもらったところで、お正月は、それをつかってずっとやりたかったことをやる予定。

 

そうだ、もうひとつ。

きのう、お台場まではじめて自転車で行ったんです。以前からゆりかもめに乗って外を眺めるたびに、下の道路をいつか通ってみたいと思っていて、いまのところに越してからはかなり行きやすくなってるはずだったのに、ずっとトライできずじまいだったのですが、ちょっとした用事ができたこともあって、もう今日しかない! と。

 

すごい些細なことかもなんですけど、ほんとにずーっと通ってみたかったんですよね。

窓越しじゃなくここの風景をみてみたい、どんな感じがするのか知りたいと。

 

というわけで、今年最後にその画像を載っけて締めたいと思います。

 

あ、来年のスケジュール書いてませんね、すんません!

リーディング、ご希望の方は1月4、5日あたりは受けられるかなと思いますので、連絡してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは、今年も1年どうもありがとう!

よいお年を☆

 

 

LOVE & ALCHEMY

ANANYA

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
最近のダイジェスト&エッセンス年末年始の受付のお知らせ

 

年末ゆえなのかどうかわかりませんけど、結構忙しくてやることやったらごはん食べてしばしぼっさりしてお風呂はいって寝る、読めそうだったら本読む、音楽は食後のぼっさりタイム&お風呂で聴く、みたいな日々です。

今日はお休みなんですが、いつもなんかやりながら終わっちゃうので、今日こそはやろうと思ってたことをやろうと思って、ひさびさに書いてます。

 

で、最近の自分の状況をダイジェストで書いてみようと思うのですが、

まず新しい仕事が思いのほかたいへんで、でも人間関係がすごいらくなのでいいね、って感じ。

自分のほうがすごいとか嫉妬とかまあいわゆるマウンティングだとか派閥みたいなのがないのってこんなにらくなのな〜と。

 

仕事の内容は相談を受けて解決にもってく、という感じなのですが、リーディングとはちがって左脳優位での対応なこともあり、まあかなりきびしい局面もあって、実際ピリピリしてるときもあるんですけども、自分のエリアの仲間たちはなんというか以上のような感覚をもちこんでくるひとがめずらしくいないので、みんなでゲラゲラ笑いながらできる環境で、ほんとよかったです。

 

結局、仕事をやめたいときって、その内容がほんとにつらいとか、自分のやりたいことではないと完全に気づいてしまったとかメリットがなくなったとかはもちろんですけど、やっぱり人間関係、環境だと思うんですよね、仕事自体は好きなのに人間関係がきびしくてやめるって、すごい多いと思う。

 

もちろん仕事だけじゃないけども、なんというか、自分のほうが上とかわたしはあなたを認めないバイブスが交錯してたりするとほんとげっそりするもんね、それって裏を返せば嫉妬のエネルギーで、本人に自覚はなくても完全にエネルギーアタックになってる。

攻撃的にはみえなくても、出所がそれであれば、笑顔からビーム出てるっすよ、みたいなのってわかるよね、そのやさしさこわいっすみたいな。

 

ほんとの自分はもっとすごい、もっとやれる、こんなもんじゃない、誰々よりもすごいんだ、といった感覚、思考、果たしてこれはほんとうはなんなのか、出典はどこなのか。

 

みたいなことをぼっさり考えたりもしながら働いています(笑)。

 

そしてほかのトピックとしては、なんか先月末くらいからまたメールが届かない、連絡のいきちがい、突然マウス動かなくなる&電池替えてもだめ、PCよく落ちる、みたいな感じになってて調べたら、また水星逆行中なんですな、いつもここまで連絡とかPC関連で影響受けないんですけども、今回はなんかちょっと強いです自分は。

まあいいけどね。抵抗してもしょうがないしさ。

 

で、唐突ですが、ここでエッセンスの受付のお知らせをはさみます。

 

 

★年末年始のフラワーエッセンスの受け付けについて★

 

●年内の締め切りは12月25日(月)午前中まで

●年始の受け付けは1月10日(水)から

 

 ※発送は1月16日(火)以降になります

 

その他のスケジュールについてはまた後日お知らせします。

リーディングの個人セッション、対面のスケジュールが結構きびしくなっています。

skypeは12月27日までは夜のみです。

 

どちらにしてもお受けできない日、時間帯が結構ありますので、

お問い合わせください。

 

**********

 

 

と、長くなってきたのでそろそろ、なのですが、仕事ばかりじゃやっぱりさ、、ということで、

最後においしかったごはんと、素敵だった風景の画像をご覧いただいて本日は締めたいと思います。

 

まずおいしかったごはん。

 

 

 

あんまりうまく撮れてなくてすいません。

築地本願寺内のカフェのモーニングです。

ぜひ、行くといいと思います。

 

 

そして、年末恒例の逗子鎌倉葉山方面詣で。

 

 

 

 

もう今年は早めに行っとかないと行けないかも、、と思い、先々週くらいに行ってきてしまいました。

で、今回はいつもの逗子の海辺ではなく、森戸海岸へ。

わかなぱんのドーナッツがどうしても食べたかった&森戸神社に行きたかったので葉山へ。

 

これも写真では伝わらんでしょうが、ほぅ。。。。。という感じでした。

実はめずらしく動画を撮ったんですけど、ピンクとか紫とか緑とかの光が映ってましたね。

ここもぜひ行ったらいいです。

年内もう一回行きてえな、今度はいつもの逗子のほうへ。

 

というわけで、また。

今年残り、楽しんでいきたいっすね☆

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
A STRAW CONNECTION

 

先月くらいからちょっとずつ生活のパターンを切り替えていって、先月末から新しい仕事のスターターという感じでかなり詰まっていて、生活のペースが結構変わってきて、時間の配分がずいぶん整理されてきたもののまだ身体も頭も慣れていなくて、最近ようやくちょっと落ち着いてきたかな、という感じでひさびさに書いてます。

 

自分がそんなふうに移行中だとやはり似た感じのひとが集まってくるのか、先月末で会社をやめて来月の3月くらいまで中国〜インド〜インドネシア〜ベトナムあたりを放浪するという友人と先日ぎりっぎりのタイミングでごはんを食べたんですけど、

実際、そういう感じの旅って、20代のころはよくあったけれども、そのころってインプットというか、どちらかといえばいろんなものを吸収してく感じがするけど、この年に出る旅って、むしろ捨ててく、削いでいくって感じがするんですよね、

これはいるいらないって確かめる、なんというか若いときが粘土よる自分像制作なら、壮年は木から掘り出すみたいな。

 

まあ、旅はいつでも楽しいですけどもね。

 

引っ越しもそうですけど、やっぱり移動するとエネルギーが相当動くし、いろんなタイミングが重なればその分増幅もする、もちろん自分の意図したものとはちがうこともあるし、むしろ逆に作用することだってある。

でも、それだって動かしてみなければわからない。

 

自分のことでいえば、今年のロス行き、すごく大きな経験だったけれども、じゃあ勉強したことをそのままやるかといえば、そうではない、むしろそこでみたもの、いわゆる知識として教わったことではなくて自ら知ったことのほうで少なくともわたしは動いていってる。

 

じゃあそれほど大きな移動距離がないとだめなのか、といえば全然そんなことはなくて、ほんとに部屋の配置を変えるだけでも、なんというか“隙間”ができたりする。

 

もちろん完全に直結、即はしないかもしれない、でもそこに通ずる何か、実際、わらしべ長者的につながってくことがほとんどだったりする気がするんですけど、だいたいにおいてひとって、わら1本見せられたら全然ちがうじゃん!やっぱこんなんじゃだめなんだよ! って“ジャッジ”して決めつけてしまう、そこで意味を固定してしまうんですよね、

でもさ、いやいやわらしべ、次どういくんだろうと思うとかなり楽しいし後々すげえひろがりあったりするぜ逆に、って思うんですよ。

 

 

結局のところ、自分のみたいように、自分の動かしたいようにことが運ばれなければアウト、でいると、そこで世界のひろさも固定されてしまうんですよね。

 

いま思い出しましたけど、まだ10代のときのバイト先の社長との面談で、目の前にガラスのコップを置かれて、「これ何に見える?」って聞かれたときに、コップだけど、花瓶にしてもいいかもですねみたいな返事をしたんですよね、そしたらわたし採用されたんですけど(笑)、社長いわく、これがコップにしかみえないなら、そのひとは世界をそれ以外の目でみることはできないんだよみたいなことを言っていて、まだ若きわたしはたいへん感銘を受けたものでした(笑)。

 

でも、いま思えば、そういうこと言う大人に会っておけてよかったな、って思います。

 

 

というわけで、特に何書こうと決めずに書いてみたのですが、わらをただわらとしてみるな、と。わらとしてみたらわらとして終わるんだと。

 

まあそんな感じで(笑)、

11月ももうすぐ後半ですが、いい感じで毎日を過ごしていきたいですな。

 

ではまた〜☆

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
who did you vote for?

 

毎日雨続きで部屋の湿度がもうやばい、投票の封筒も券もなんだかやわらかくなってしまってましたが投票用紙はすべすべしてましたね、やっぱり環境によってそんなとこにもちがいが出るよねーとこれは素材のちがいだろうと思いますので完全なるこじつけなんですけれども、とりあえず前回の選挙より投票所、ひとがいましたうちの地区、時間帯にもよるのかもですが、とはいえこの天候にもかかわらず。

 

 

さて前回、10月のメディスン出しましたけど、友人、知人からは離婚と結婚、退職などの話を立て続けに聞いたり、

リーディングのセッションを受けてくださった方は引っ越しややはり転職、病気治癒に向けての計画など、

そして自分は生活&仕事の態勢の抜本的な見直しのため、結構長くやらせていただいていたお仕事を今回で降りる決意&新しい仕事の追加等、なんかそんな動きになってます。

 

それにたぶんともなってだと思いますが、すごい深い過去の何かが出てきてるな、と。

 

これまで、まあいろいろワークやほかの方からセッション受けたりなんだかんだやってきたけども顔を出してくれそでくれない、というか、まあ直面するのがほんとに嫌なんでしょうね、というかものっすごい恐怖なんでしょうね自分、

 

しかしその片鱗が海面からチラリ見えるサメなのかクジラなのかそれともまったく別のものなのか生き物でさえないのかはまだわかりませんけど、以前よりもチラ見せ度が上がってきてる感がましていて、

もう逃さねえぞとトリシューラ片手に仁王立つ自分と、

やっぱ無理、こんなん見つけちゃったらいろんなものがこわれてしまう〜〜と怯える自分、

それをとりなす自分、何か策を練ろうとする自分、ただおろおろする自分、

で、それら全自分を見ている自分、、という具合にもう完全なる自分曼荼羅というか、自分of自分の縮図、それも動く、つまり万華鏡、みたいな、ああいわゆるあのむかしの六道絵とかって、本来ああした地獄という場があるわけじゃなく腸環境ならぬ己の内環境の分類なんじゃね? とか思ってみたり、って書くとなんかすごいっぽいですけども、程度の差はあれ、人間全員に、日常的に起こってることですよね、そのキャラとか感情がその都度変わったりして、つまりやっぱり万華鏡!

 

 

と、毎度趣旨がずれていってるかもですが、

まあ、ほんとに、そのたくさんの自分のなかの誰の声にしたがってくのか、それによって、目の前の風景が変わっていくんですよねー。

 

誰についていくか、次の角を曲がるのか、

そして先へと続く道が変わってく。

同時に、やっぱり恒常性の問題や、どうしてもそこにとどまっていたい自分というものの頑固さ、このゆるぎなさを転換すると決めたら、ちょっとどうなっちゃうの??

と希望やわくわく感よりも恐怖が先行してしまうんでしょうな、それはとてもよくわかる。

 

とはいえ、

また来週から感覚が結構変わっていくと思うし、そんなふうになんらかの応援みたいなものって、絶対にある。実は結構ある。

 

それをみつけるのも結局のところ、どの話に乗っかってくのか、というか、それってほんとにそうなの? と。

見極めていきたいものですね。

 

 

というわけで、なんか無理やりっぽく終わりますけれどもまた!

選挙行かれてない方、行ってほしいな、と思います。

関係なくないんですよね、ちゃんとリンクしてる。

エネルギーです。

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
重箱の隅、母の遺品・3

 

片づけがひと段落して、“空いたスペース”と“自覚的に残しているもの”にフォーカスしてみると、気づきがどんどん起きてきて、あああれってそういうことか、これってそうだったんだ等々、沈んでいたものが水面に続々顔を出してきた感じ、なのでお昼休憩利用してやっぱり忘れないうちに書いてしまいます。

 

とりあえず、

裁縫用品を整理するなかで、自分が無意識に母から引き継いできたものについて書いているわけですけれども、彼女が亡くなった直後は形見分けなどもあったし、家族で結構大々的な整理はしたんですよね、でも当時あったものを思い返してみると、彼女がまだ生きていたにしろ、使い切れないだろうと思うものが、裁縫用品以外にもあったよなと。

 

自分のことをみてみると、どこに住んでいても感じていたのは、常に部屋がせまい、というか、収納スペースが足りないこと。

ひとりで住んでいても、ひとりじゃなくても、とにかく自分のものがきれいに納まらない、なにかしらはみ出してしまう。

 

で、その要因はいくつかあるにしろ、いちばんの理由は自分の理想とする家に住むことを含め、そうした生活、ストレスなく暮らせる状況をつくることができていないからだと思っていたんです。

さらにいえば、ではそれって結局、どんな感じなのか、というか、ヴィジョンとしてしっかりイメージしたこともなかった。

そして、それにもちゃんと原因があるわけなんですよ。

 

このヴィジョンについては、とりあえずちょっと置いておきますが、

とにかく今回、その考えは少なくとも、収納問題解決への完全なるアンサーではなかったと気づいた。これは、自分にとってはものすごい大きなことで、価値観の転倒、といったらちょっとちがってくるかもですけど、確実に自分の住居観はもちろん、働きとか生活に対する考え方の根本を揺るがすような気づきなんですよマジに(笑)!

 

というか、これはほんとに根深い問題で、いろんなことにつながってるんですね。

まず、使い切れないほどの量をストックしてしまうことについて考えてみると、そこから見えるのは、やっぱり不足の意識だと思うんです。

 

たしかに自分が小さいころ、ものには限りがあり、目の前にあるうちに手に入れておかなければならないこと、いつ必要なものがなくなるかわからないことなど、戦時中に母が体験したことから導き出された持論を、繰り返し聞かされていた。

 

自分ではそんな自覚はなかったものの、貝塚のように発見された空き瓶はさすがにいまは整理されてますけども、そこかしこに「つかうつもり」という名目のもとにストックされたものがひっそりと、ではなく、結構な主張をもって鎮座してたわけです。

 

これは物理的なものとしてとってもわかりやすく反映されてるけれども、ことの起こりは彼女の持論、別の言い方をすれば信念、いわゆるビリーフなんですね。それが世界をつくってる。

 

 

ボタンや糸をひとつひとつ眺めながら、どんどん気づきが起こっていって、ああ自分はいま、自分のものではなくて、母ののこしたものを整理しているんだなあと、今回はじめて自覚したんです。

いつの間にか、それらは自然と自分の生活にスライドして意識するまでもなく自分のものになっていたけれども、実はそうではなかったんだと。

 

 

メディスンを書くときに、よく「自分以外の誰かや何かの」というフレーズを出しますけど、まさにこれなんですね。

今回の場合は物理的なものを通して見えてきたけれど、逆に言えば、そういった“物理的な現実”が展開したその起こりはなんだったのか。

考え方、ものの見方、捉え方、ほんとに条件反射、反応でしかない感情の発生や行動、態度、言動に至るまで、いつの間にか自分のそれになっているけれど、ほんとに最初っから自分発だった? という問いかけ。

 

これまで自分でさんざん書いておきながらこれですからね、、そしてこれもまったくもってエゴ/マインドなんですよね、どれほどもっともらしくかつ自然にみえても。。

 

 

と、

母の裁縫用具を整理することからみえてきたいろんなこと、不足の意識についてなど、もっと複雑にまだまだいろんな信念や感情が乗っかっていて、母の幼少期の体験とその後や、父との関係等々、いろんなものがからんでるんですね。さらに、別の性質にもつながったり重なったりしていく。

で、終わりがないので、とりあえず今回は、いろいろはしょってわかりやすい部分を書いてみました。

 

そう、ここで終わりではないんですね、

言ってみれば、ここまではいろんなワークをやったり、なんらかのセッションを受けたり本を読んだり、内観に慣れてくると見えやすくなってくる段階。

 

もちろん、それはすごい大事で大きなことだし、かなり核心へと続く扉ではある。

でも話が変わってしまうけど、特にセルフワークをされてる方で途中で行き詰まったりするのって、実はこのあとからだったりする。

 

 

と、セルフワークのやり方については、特にフラワーエッセンスの方などからときどきご質問いただくので書いてみたいのですが、別の方向に行ってしまうのでまた別の機会にしますけれども、

方向という意味でいえば、

自分がこれまで見てきた景色、明日も見続ける風景、さらに向かっていく、向かおうとしている場所、

それって、ほんとにそこか??  というのはもう一回、立ち止まってみてみるといいんじゃないですかね。

 

というか、それの繰り返しが実は人生、というものだったり、とちょっといいこと言ってる風で適当に書いてるんですけど(笑)、

この感覚、すごいメディスンぽいんで、近々また出そうと思ってます。

 

というわけで、また。

季節楽しみつつ、やっぱり片づけ、整理、いまベストと思います!

 

 

 

ではでは、

Have a wonderful time〜〜!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ANANYA | text | comments(0) | - | - |
重箱の隅、母の遺品・2

 

とりあえず発掘&廃棄作業がひと段落して、まだ掘りたいところはあるのですが、家具の移動やひさびさに金槌ぶん回して棚つくったりしてるうちに仕事がまた詰まってきつつ、でも次のプラン&勉強もしつつ、みたいな感じであっという間に10月に入り、近日中、ではなくなってしまいましたけど、いい加減、前回の続きを書いてみます。

 

まず、タイトルの「母の遺品」。

今回、主に整理したのは裁縫用品だったのですが、自分がこどものころから見ていたし、いっしょに何かつくるときにつかったりもしたし、学校で家庭科の授業がはじまれば借りたりもしていたので、特に母が使っていたもの、という意識や自覚もなくそのまま自然に自分にスライドしてきたものたちだったんですね。

 

それらはこれまでも何度か整理してはいたものの、母はもともと洋裁の学校に通っていて、縫製の仕事をしたりもしていたので、まあかなりいろんなものがこまかくあって、というか、死んだ直後に整理したときには、布を含めたらもう膨大な量で、彼女が逝ってから30年ちょっと経つのですが、自分の代でも絶対に使い切れないほどの糸やボタン類が残っていたんです。

 

いままでずっと、引っ越せば何の疑問もなくダンボールに詰めては次の家に運び、押入れだの棚だのに収納し、を繰り返してきて、そして今回、なぜいまなのかはわかりませんが、それこそボタンひとつひとつ手にとって、いる、いらない、にわけてみたのです。

 

なかには、買った服についていた補修用の小さな布とボタンの組み合わせがあって、ああこれあの服のやつだ、と、もはやいつ手放したのかさえ覚えていない服のそれだったり、外されたボタンから服、その服にまつわる記憶、そのときのいくつかのシーンや感情を思い出したり等々、そこに宿るストーリーがどんどん思い出されてくるんですよね。

 

それは、あえて意識しなければあたりまえに、何の疑問もなく常に起こっていることで、ふと思い出してはまた忘れ、それこそ次の家に移動するように、また頭のどこかにしまわれて、もしかするともう二度と思い出すことはないかもしれないけれど、脳のなかに残り続けてはいく。そう、意図しようがしまいが、残っていくんです。

 

さらにその記憶がまた無自覚、無意識に、その後のあれこれに実は関わり続けてもいたりする。

思い出さなくても、そうとはわからなくても。

 

 

糸やボタンや布をひとつひとつ整理しながら思ったこと思い出したことは、ほんとにいくつもあるんですけど、そのひとつとして、彼女はほんとうにたくさんのものをストックしていたなということ。

 

裁縫用品に限らず、たとえば包装紙やリボン、文房具、それから食器、寝具等々、思い返してみると、自分がはじめて実家を出たときの荷物の量、尋常じゃなかったんですよね、いまならよくわかるけれども、布団3組くらいあったと思うし(笑)、当時借りたアパートの部屋なんて、完全にキャパオーバーですよ、なんでうちの家族は誰もそれについて何も思わなかったんだろう…。

 

そして、このブログをPCでご覧になってる方は、右のほうにレコメン本のコーナーがありますが、かなり以前に紹介しましたけどもカレン・キングストンの本、あれを最初に読んで、もう7ページ目くらいで部屋を片づけはじめたときのこと。

 

ここにも書いたかもですが、これだけの瓶をいったいどうしようと思っていたのか、、というくらいたくさんのジャムだのピクルスだのの空き瓶が棚から出てきたとき、自分はだめなのかもしれない…と、かなりショックを受けたわけですが(笑)、思えばこの余分にとっておくという性質、母親から引き継いできたものなんですよね。

 

まったく無意識に、そうすることがあまりにもあたりまえで、むしろ普通、自然なことだと思ってやってるから、それが尋常じゃないと気づかない、というか疑問にも思わない。

なんか多いなあとか入りきらないなあと思ったら、減らすよりそれを保管するスペースを拡張する方向で考えるし、また次の家に普通に運んでしまうんですな。

 

 

このことに気づいたとき、なんというか、自分のいろんなことが結構ぱしっ、とつながったんですよね。

それは、物理的なものだけではなくて、思考のパターンから自分のものごとに対する反応、性質もそうだし、

いわゆる豊かさというものにも、すごいつながってるなと思ったんです。

 

 

と、なんかもったいつけてる風ですまん、ですが、

また長くなってきたので、続きは後日に。

ちょっとねー今週もめちゃいそがしいんですが、なるべく次回は早めに書きます、気づいたこと思ったこと、すごいあるから自分で忘れないためにも。。

 

 

というわけで連休まっただなかですけれども、

お休みの方、すんごい素敵気候ですし、ぜひ行楽など楽しんでくださいませ(でも、荷物の整理もいいかもね笑)。

お仕事の方、わたしも仕事なんで、ときどき香ってくる金木犀の匂いに癒されながらやっていきましょう!

 

 

ではではまた〜☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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