texted a ANANYA

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ほんとの近所(?)の風景について

 

先日、ほんとは近所じゃない風景のことを書いたあと、じゃあほんとに近所の風景ってどんなだっけ、と思い、写真に撮ってみました。

 

といってもわざわざ撮りに、ではなくて、毎日のように通る場所なので、買い物帰りに「そうだ!」と思い出して撮ってみた、という感じなんですけども、最近ぐっとここちよさがましている気候のせいもあり、は〜やっぱり気持ちいいな〜という、そのまんまの感想で、ふんわりした気分のまま帰ってきてしまいました。

 

実は、じゃあほんとの近所の風景についてはどうなの? というのを書いてみよう、という目論見があったんですよね、近所って結局、物理的な距離のことよね、それっていわゆる時間のことよね、とか、この間別のことで思っていたアインシュタインのこともつながりそうだよな、とか、で、「ほんとに風景そのものをみて感じること」と「メタファーとしてみる」というのをやってみたらなんか出てきそうじゃね? と思ってたんですけど、ほかに考えていることもあって、最近離れていた非二元のことに戻ってみたりして、

結果的にひさびさにちゃんと時間をとって瞑想っぽいメソッドをやってみたのですが、

 

 

たとえばどんな苦しみもつらさも、やっぱり全部過去(時間を採用するならば)で、すべては記憶、結局のところ、ストーリーなんですよね、もちろん、こころ(これもいろんなとらえかたがありますが)、そしてからだも感情、痛みのようなものを感じている。

胸やおなかにある違和感、もやもやとしたもの、それだけでなくはっきりとしたいたみ、何かをずっと背負い続けているかのような肩の重さ、ことあるごとに起こる頭痛、腰や背中にも何かの感覚があるかもしれないし、そうした体感、そして言葉にできるものもできないものも、それらが過去の記憶、ストーリーから起こっていることであっても、いまそれを感じているのはもちろん事実、でも、、、

 

たとえば、どこからともなく起こってくる思考、感情、体感も含めて、それは自分本体ではなくて、ただ自分、という“場”にあらわれては消えてゆくものですよね、「この苦しみ」に対して「これをどうにかしなくては」という新たな思考、それが担い手となって<「この苦しみ」を「どうにかする」>というストーリーが展開されていく。

次は「ではどうしたらこの苦しみはなくなるのか」が担い、次の思考、また次の思考と連なって、物語が紡がれていく。

 

ストーリーを展開させず、ひとつひとつの断片を、つかまえず、つかまらず、シークエンスにさえしてしまわずに、ただ発生して消えてゆくのを見送るだけ、ほんとにこれだけのことなのだと、もっといえば、見送ることさえしなくてもいい、それこそ“時間”がたてば泡のようにして消えてしまうから。

 

いや、消える、というのともちょっとちがう、なんというか、そういったものはすべて別の空間(あえて)とか次元(あえて)にあるもの、という感覚にいまは近いです。自分本体ではないもの、という意味で(これもちょっとちがうかなーでもそんな感じ)。

 

自分という場(あえて)には、やっぱりなんにもなくて、静かで、おだやかで、けれどもあらゆるものが発生しては消えていく(って書くしかないんだけども、というか点滅とか、浮き上がってくるとか、流れていく、みたいな感じかも)、とにかく言葉ではとらえきれないし、とらえようとすればするほど離れてしまうんですねえ、それでいてありきたりの言葉をはめるしかないというもどかしさ、それがさらに遠ざけてしまうような。。

 

 

まだわたしとわたし以外、で分離しているし、ときに起こる一体の感覚(あえて)はあっても、「これをどうしたら?」という思考、このストーリーに限らず発生し続けるんだと思うのですが、

 

なんでしょうねえ、

思考がどういおうと、何かを紡ごうとも、

何かが起こり続けるだけなのですが、

 

 

と書いて、昨夜は寝たんです。

で、起きたらとりあえずいまのこたえっぽいものが出てました。

 

で、今日はこれからロスでのクラスメイトと勉強&シェア会なので、

まあ考えずに、起こるにまかせてみてみます(っていう表現もなんかなー、って思うそれもエゴ/思考、ほんっとめんどくせえ、、)。

 

 

というわけで、画像は、うちの近所です。

先約がなければこのベンチで本読んだりぼっさりします。

 

そして、上に書いた「ほんとに風景そのものをみて感じること」と「メタファーとしての近所の風景をみる」は、

やってみるとなんか出てくるかもなので、

興味があったらやってみてくださいませ。

 

 

ではまた。

いい感じの1日を〜☆

 

 

 

 

 

 

 

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