texted a ANANYA

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掟。白紙。

 

たとえば「人付き合いは、」という言葉。

そのあとに続くのは、

 

「楽しい」

「つかれる」

「楽しいときもあるけど、つかれるときもある」

「苦手」

「相手によってちがう」

 

等々、いろいろだと思うのですが、

これらはそれぞれがなんらかの経験によって感じたこと、導き出されたいまの結論、みたいなもので、

このなかに正解があるわけではないし、どれかに自分を寄せてく必要もなく、

けれど、たとえばポジティブにとらえる、あるいはそうなりたい、と思っているなら、「そのためにはどうしたらいいか」と考えると思うんですよね。

 

って、書いていて、なんか自己啓発っぽいなーと、ひとが言ったり書いてるのは全然いいんだけど、自分がそんなふうに述べることにはものっすごい居心地のわるさを感じます。何言ってやがんだ自分、て感じ。

 

というのが、ANANYAの感覚なんですけど、

ひとつはこの書き方なんだよね、なんかこう、いいこと、大事なこと言いますよ的な感じがもうすごい自分に嫌悪&恥、なんですねえ、ひとはいいんですほんとにひとは(この「恥」の感覚というのも曲者だとおもいます、それはまた機会が訪れたときに)。

 

で、だいたいここで書くのをやめるのね、いままでもそう。

 

なんか、教えてあげます、みたいな感じがするんですよね、それがすごい嫌で、セッションはそういうことを言ったりする場、時間、で、自分はそういう役、という前提があるのでそのまま伝えることができるんですけど、

普段の雑談とか、友だち同士の会話のなかでそれが起こってくると、途中からものっすごい自己嫌悪がおそってくるんですね、むかしっから。自分何様よ? って思ってしまって。

 

 

気づいたことをシェアしたいということと、書いてるうちにさらに自分で気づくことがあったり、全然ちがうところへ向かっていったりと、そこが書くことの面白さだったりして、とはいえこれらもストーリーで、、と書いていくと、二元と非二元との混在に混乱して、、というのが陥りやすいところなのかもで(少なくとも自分は)、そういうのも書くのをやめてしまう理由で、もっといえば、自分の場合は人付き合いの困難さにもつながってますね。

 

 

話を戻しますが(これもきのうの、どんどこ思考を拾ってつなげて最終的に別次元にたどりついたか? くらいの展開になったりするのとおんなじ。結局、なぜそうなっていくのかのひとつの理由は、「変えたい」ということなんだろうな、それが「じゃあどうすれば?」になる、つまりそれがいわゆる「いまの否定」というものなんですな、だから「受け容れろ」と。って、仕組みはわかってるつもりでも、こまかくみてくとこんなふうにひっかかる場面がいっぱいあるんですよねー、で、間の説明ぶっ飛ばしてみえてくるのは「わたしは完璧でなければならない、完全に理解し血肉になってからでないとそういったことを言うべきではない」という「掟」があることに気づいたりするわけです。これも、単に浮かんでは消えてくだけの思考のひとつを採用してるだけ、なのにそこからはじまるストーリーはほんと無数の展開をはらんでますよねーほんとすごいな人間!&自分、まだまだ自分へのゆるしが足りないんだわね、きびしーッ)、

 

 

って、もう話戻さなくていいよね。

なんかみえてきました自分また。

 

 

でもこれで終わりじゃないのよ、その「掟」をさてどうするか、とネクストがあって、

ここでセラピーとかカウンセリングとかヒーリングとか、病院でもいいけどさ、その「掟」がつくられたことで発生した苦しみ、生きる困難さにアプローチすると、それが、その先の展開についていけないストーリーを解除していく、みたいな感じですかね、

 

つまり、話を最初に戻す、というよりも、何も書かれていない状態、白紙に戻すんだと。

 

一連の癒しや治療(からだの健康ももちろん)の仕組み、ってそれなんですな。

 

しかし、この自分ではどうにも破れそうにない掟、それだって思考のすんごいやつなんだしストーリーなんだから、どうにかしなくてもいいんじゃないの? むしろ、したらだめなんじゃないの? といえば、まったくもってその通りで、

そこでぶった切って、まさにいままで書いてきた原稿を丸めてファック&バイ、永遠に!(って、別にそんなの言わなくていいんだけども、これもいわゆるアファメーションだったりして) とゴミ箱に入れれば終了です、終わり、

というか最初っから頭のなかにしかないから。

 

ところが厄介なのが、その掟を守るにいたる理由、いやだ苦しいと思ってはいるのに持ち続けてしまう、いわゆる手放せない理由、というものがあったりする。

 

あるいは白紙にしたつもりだけどほんとにそうなってるのかどうかわからない、という新たな不安や、

捨てた、白紙にした、と言いつつ、単に蓋をして置き場所を変えてるだけだったりとか(見ないふりとか抑圧とか)。

そんなふうに思わせるものがいわゆるエゴですな。

 

それをほんとに白紙に戻すお手伝いをするのが、セラピスト等の仕事なんだとおもいます。

で、それに対してどんな視点で、どんな方法をとるかによって、役割と名称が異なる、と。

 

 

完璧になるまで言っちゃいけない、という掟がないと、自由ですな。

間違える自分をゆるす。

 

すんません、勝手に書いてるだけなのに、ちょっとらくになってしまいました(笑)。

けど、もうちょっと探ります。

 

 

とりあえず自分、やっぱりフリースタイルが好きだ。

 

 

というわけで、また。

今日もいい感じで〜

 

 

 

 

 

 

 

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