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言葉と何か、2〜制限、自由、バランス

 

楽しかった先週末の余韻にひたる間もなく、日曜日から少しずつ雨脚強まり月曜から暴風域、昨夜ようやく台風の目に入り、つかの間の静けさ、という感じ(自分の状況を天気にたとえています)。

確か水星逆行中ですよね、仕事の締め切り、延びるどころか早まってるんですけどなんなんすかねこれは。

 

それはさておき、暴風域とはいえ、ここ最近は自宅作業なので、ごはんもいい感じで食べてます。

ちょうど先日、糖質についての栄養学の講座に行って、もっと成分や別の角度からの知識を学んだので、早速食べ方をためしてみたり。

 

これについてはしばらくやってみて、シェアするといいかもと思ったらまた書きたいと思いますが、先日書いた言葉と何か、コミュニケーションのことについて、食べものに関することでも感じたことがあるので、今日はそれを。

 

 

先日、現地色の高いネパール料理屋さんに行ったんですけど、カレーはやっぱり穀物といっしょに食してなおおいしい!わけじゃないですか。

そしてインドでいうミールスやターリーのようなセット、糖質率当然高いでも食べたいに決まってるわけじゃないですか。

あの銀色に輝くお盆の上に並ぶ小さな丸い器たちと彩り、たぶん、あの形状と並びが食欲をかきたてる何かを起こしてると思う。

 

しかし、まさにその数時間前、講座でさんざんからだへの影響の話を聞いたあとだったこともあり、やっぱり穀物抜いてアラカルトでいこうか迷っていると、特に食事制限などはしていない友人が多少イラついたのか、「そんなにストイックにいくなら食べられるものだけ選べば? 」と言ったんです。で、即座にわたしは「全然ストイックじゃないよ、肉だよ、肉を選ぶんだよ? 肉をおなかいっぱい食べるんだよ?」と、なかばムキになってかえしたんです。

(※注:糖質制限食=肉のみではありません、念のため)

 

このときに感じたのが、おたがい、相手の言葉からのイメージで話してるなと。

 

たとえば、その友人に限らず、自分の食実験の話を誰かにすると、反応がだいたい似てるんですよね。

なかでも主に共通しているのが、「それってどうなの?」 というつっこみがうまくいかない感(笑)。

 

これは、あくまで自分のこれまで実際に経験した、計画的なダイエットなどを含め、何か特定の食事法を行っていないひとたちに多くみられる反応ということですけど、

すごいはしょっていうと、肉を食べない、よりも、野菜を食べないとか、よりヘルシーな食事法のほうが、第一印象として懐疑的だったり否定感を持ちやすいんじゃないかと。

もっというと、マクロビとかヴィーガン、という言葉だけで嫌悪感をもつひともいたり。

 

逆に、野菜をほとんど食べず、肉中心、というかジャンク色の強い食べ方については、少なくとも肉否定派よりもあたりがやわらかい印象。

 

これ、さっきも書きましたけど、あくまでも自分の経験ですよ、しかもマクロビとかやってない、あえていうなら普通にごはんを食べてるひとたち。もちろん、肉食に対してかなり辛辣な姿勢をもつひともいるし。

 

 

とにかく、ここではどちらがいいとかわるいとかの是非を問いたいわけではないので、その推察などはしませんけれども、とにかくポイントとなるのは「制限」という言葉、概念から引き起こされる何かだと思うんですよね。

 

 

その理由のひとつが、さっき書いた「それってどうなの?」 というつっこみがうまくいかない感。

 

 

「糖質制限食」。これ自体について知らないひとにとって、まずどこに引っかかるか、というか、やっぱりイメージだと思うんですよね、知っていればそれ自体と直結するけれど、知らない場合は想像するしかない。それも自発的にというより、もう脳のはたらきで自動的に、いってみれば計算が起こるんだと思う。

 

で、その言葉と自分のなかのデータ、つまり記憶とのすり合わせが行われてそこに紐づく感情→< >→アクション(この場合は会話)、という具合に一連の動きが起こる。

 

記憶が瞬時に別の記憶を呼び起こしたり、そこから起こる思考、逡巡といった動きが入ったりもしますが、

感情の次の< >は、そうした記憶からのつながりではなく、その感情や出てきた思考について一度立ち止まる、観察する、われにかえる、もっというと“いまここにとどまる”感じで入れてみたんですけど、

もうほとんどの場合< >はすっ飛ばされていて、ほんとうの意味では会話にはなっていないんですよね、あくまでも自分の私的な記憶からのあれこれをもとにしたイメージによる言葉、行動でしかない。極端な言い方かもしれませんけども、相手の言葉にリアクションしてるわけではなかったりする。

 

って、仕組みとかを書いてるとまたどんどん長くなる&脱線していきそうなのではしょって簡単に書きますと、

 

とにかく「糖質制限食」、糖という栄養素を制限すること、そのなかにはいろんなやり方があり、どれを選ぶかは自分の自由、食べたければなんでも食っていい、特に肉、たまご、チーズを食う、むしろ食う、コーヒー飲んだりするのもいい、しかもバターやココナッツオイルを入れて飲むいわばフレーバーコーヒー、そう、バターはOK、マーガリンは糖質関係なく別の意味でNG! 完全にガチでやるなら制限するものは多々ある、でも糖の量というだけなら食ったらいいんじゃん? お酒? 飲んでいいのよ、でもバランスよ、ただなんでも制限するだけじゃだめなの、バランスが大事なのよ!

 

こんな風に説明すると、みんな、うーん、、、となるんですね(笑)、自由があるので思うようにつっこめないし、バランスが大事って、ほんとに大事、っつーかおのれをバランスするためにやってんだからさ(笑)。

 

そう、結局、「自由」ということにつきると思うんです。

最初は「制限」という概念に身構える、そこに肉野菜問題があり、無意識に自分の、しかも無自覚にある条件やポリシー(まあ、これがエゴの代表ですね)に反するかどうか、というか、反するにちがいない、とその時点ですでに“判断”が起こっている。

 

書いてて思いましたけど、その条件やポリシー、つまり「普段自分がしていること」もっといえば「正しいと思っていること、守ってるもの」を揺るがされるかもしれない、ということのほうに、強い反応が起こるのかもしれない。

 

そして「バランス」というワードも実は強い。

実際、「自由」というものって、結構抵抗をもつんですよね、自主制限たくさんしてるし、他人にも制限を求める、まさにポリシーに反するかどうか。

そこでバランスというものが出てくる、文字通りバランスして両方立ててくれたりする。

 

 

ほんとは前回の続きで言語について書こうと思ってたんですけど、食べものと言語って、結構相反する強い反応が起こりやすいトピックな気がするんです。

それって、深くいくと、生命の危機に関連してるといってもいい。

特に食べものは、愛情というものにとても深くかかわってる。

 

けど、それもまたイメージに還元されうるんじゃないかなと、

脳の仕組みといった構造的なことはあるにしても、そんなふうに思います。

 

うーん、でも一概にはいえないなあ、いろんなものが多面的というか多層というか多次元的にかかわってるから。

 

これは、さっきの自由というものと、バランスというものにも通じる、

地球とか三次元に生きる人間ならではの話ですな。

「からだ」なんですよね。

 

 

 

というわけで、また長くなっちゃいましたが、

とりあえず今日はこんな感じで。

 

制限については、もっともっとありますけども、なんとなくポイントをつかんで気づきに役立てていただければ幸いです。

 

東京、また夏が戻ってきた感じでうれしいですけど、

熱中症かなり注意な気配あからさまなので、

気をつけつつ。。

 

あーそうね、わたし毎夏ポカリ必携なんですけど、糖抜きポカリあるといいなあ。

 

ではまた☆

 

あ、悩んで選んだ\糖質バンザイ/ネパールメシのっけときます。

真ん中の岩のようなものはディードというそばがきみたいなもの、真ん中の液体はギーです。

 

 

 

 

 

 

 

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