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chiledhood

 

先日、セッションにいらしてくださった方から、桃の花をいただきまして、日々花ほころびとても和んでいます。

 

 

 

 

いただいたときは、まだひとつ開きかけがあった以外は全部蕾だったのですが、毎日どんどん開いてきて、活けてから開きはじめるのをやっぱり想定してお店に出すわけですよね花屋さん、その裁量はすごいなあとか、それをうちに運んでくれた方、花瓶に活けてその直後からむくむく動きはじめてる桃自身とか、それらすべてのタイミングに唸るばかりです。

 

すんごい些細なことなんだけど、なんかのきっかけで普段はまったく意識することもないその背景をみてみると、やっぱり全体性について思うんですよね。

 

 

こどものころって、全体性が〜とか裁量が〜とかタイミングが〜なんていちいち分けたりせず、ただその不思議さに立ち止まって目を輝かせ、わくわくどきどきともっともっと知りたい!と世界を探っていったんですよねーどの子にもそんな時間があったはず。

 

そんなふうにして日々生きることはできないかもしれないけれど、

まったく同じようにものごとをとらえる感覚って、消えることはないんじゃないかと思う。

ただ、くもらされてしまったり、自ら閉じているだけで。

 

で、そこには不安や疑念、おそれ、といったものが関与してる。

 

疑うべきものを疑わず、疑う必要のないものを疑ってしまう、

なんだか、あらためて生きづらい時代(あえて)になってるよなあと思う。

 

正しいとか間違ってるとか、そんな判断いやむしろ判定といってもいい、

とにかくそこに“正解”なんてないわけで、

探すべくは、ほんとに起こってること、それだけなんじゃないかと。

 

 

これってどうなってるんだろう? って、

無心に知り自分の手と目と耳と舌と鼻、

そして直観とでただ知ろうとするこどものころのように。

 

 

というわけで、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

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