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今年のテーマは「あきらめずに、とことんいってみる」。
たぶんこれを選んだ方は、いまがどんな状況にしろ、パッションあふれるひとだと思うんです。
そのあらわれ方はひとそれぞれで、ストレートにわかりやすく、せきららなひともいれば、
静かに熱く、一心にことを成し遂げるひともいる。
問題はやり方や見え方ではなくて、そのままの自分のパワーを出し惜しみせず全部つかう、
文字通り、全身全霊を込めて当たって砕けても問題ないくらいの情熱でいってみる年にしようじゃないかと。
フルパワーでいったらまわりがおそれおののくくらいのちからが出ちゃったりもするかもですが、
たまにはそれもいいんじゃない?
むしろ、そのくらいでいいんじゃない?
いままでできなかったのなら、なおさらいってみてもいいんじゃない?
砕け散ったと感じたならば、拾い集めたらいいじゃない。
でも、砕ける自分なんて、どこにもいないです。
もちろん、いつもいつもフルでは砕ける前にたおれてしまいます。
でも、ここぞ、とか、いま、全力でやってるときって、
何か自分のリズムに乗ってる感じがすると思うんです。
すごいがんばってるとか、無理してるとかじゃなくて、
たとえば、車で結構スピード出して走ってるときの感覚、
どんどん風景が流れていって、
エンジンはフルパワーでもとても軽やかな感じ。
それは、逆に負荷がかかるというよりも、
自分の、その、いまもてるありったけのちからと瞬間、
空間、磁力、世界のすべてが一体となるような感じ。
ふだん、つかわない領域、
でも自分のなかにたしかにあるスペース、
そこにあるちからをつかってみてください。
行く先を決めたら、なりふり構わないくらいに何も気にせずに。
自分の状態、感覚を意識するようにこころがけてください。
それは、ほんとうに自分のベストな、ニュートラルな感覚なのか。
そのなかに潜んでいる、何かおかしい、とか、いい感じではないエネルギーの存在に気づいてください。
というか、いい感じではない、というものは、本来のご自分のものではありません。
誰かが送っているのかもしれないし、自分が自分に送り続けているのかもしれない。
どちらにしても、それはいい感じではないエネルギーなので、当然いい感じではないです。
どんなふうにいい感じではないかというと、
くわしくはしらべてみなければわかりませんが、
自分をベストな方向から遠ざけるようなものです。
もしかしたら、もっともらしい考え、というかたちをとっているかもしれないし、
ダイレクトな嫉妬や悪意、攻撃性や罪悪感や劣等感をつのらせる類のものかもしれません。
それらが誰かから送られているのだとしても、
それをよしとする要因、つまり許容しているのは自分なんです。
そういった、いい感じではないものを送られるのもまた仕方のないことだと。
自分が自分に、ならば、なおさらです。
どちらにしても、あっても重たくなるばかりで、
特に役に立つわけでもないものです。
逆手にとるとか再利用も、おすすめできない感じです。
ほんとにいい感じのものではないので、
もったままではどんどんいい感じから遠ざかってしまうと思います。
それらを自分からとりのぞいてください。
距離をとって。
よくわからなければ、自分以外のものを、すべて手放します、と宣言してください。
そして、いつも、本来のご自分に立ち返ってください。
よくわからなくても、自分のここちよさに意識を向けて、
常に自分のニュートラルな状態を知り、そこにあり続けること。
これを選んだ方は、敏感だったり、許容の範囲が大きかったり、共感力が高かったりするかもしれません。
今年は、「自分」というものと、「いい感じのもの」により意識を向けてみてください。
最近、アロマのすごさをあらためて感じているのですが、
香りの影響って、いい匂いいやな匂いに限らず、思っているよりもずっとありますよね。
たとえば、いい匂いでも強すぎたら思わず顔をそむけたくなるし、
自分にとっていいと思っても、ほかのひとがそうであるとは限らない。
適量って、控えるとかおさえるのとはちがって、
その効果がベストなかたちで発揮される分量のことですよね。
それは、つかうひとによっても変わってくるし、
その香りを好ましいひとは集まり、
好ましくないひとは、距離をおくでしょう。
すべてのひとが等しく好むものって、たぶんないと思うんです。
だからこそ、自分はどんな香りが好ましいのか、
そして、どんな香りをふりまいているのか、ふりまきたいのか、
意識してみてほしいのです。
もちろんこれは比喩で、この香りをエネルギーに置き換えてみると、
たとえば、自分でも持て余してしまうほどの過剰さ、
あるいはすれちがっても気づかないほど自分を押し隠していたり、
どちらにしても、自分というものがベストなかたちで発揮されるような振る舞い、在り方って、
どんな感じなんでしょう。
どうぞ今年は、いま自分がどんな香りを漂わせているのか、
その振る舞いについて、意識してみてください。
それは個性であり、たしかにひとに与え得る何かなんです。
もしも自分があんまり変わっていないような気がする、と思っても、
とりあえず年は変わりました。
太陽が昇り朝になり、沈んで夜になるというサイクルや、
時計はきのうと同じ時を刻んでいるようにみえるかもしれない、
けれど、全人類の半数以上は、
声に出さずとも去年から新しい年へのカウントダウンをしたと思うんです。
そのときの集合意識、というか、わざわざ新年にかこつける必要もなく、
いま、この瞬間にもわたしたちの細胞は、生き死に生き死にしている。
変化を認めないこと、感じないこと、気づけないのはこの頭だけ、
なんだかいろいろ難しいこと考えたり悩んだりしてすごいことしてるようにみえるかもですが、
この思考を繰り出してくるその部分においては、
実際、なんの役にも立たんのです。
そこへいくと、からだはすごいです。
頭で司令なんか出さなくても、飲んだり食べたりしたらちゃんとトイレに行かせるし、
足をどこかにぶつけたりして頭は呪いの言葉を吐かせようなどとしますが、
からだはせっせと回復に向けて動き出します。
つまり、不安だとか無理だとか難しいなどと行く手を阻む思考を生み出す頭以外、
全部が自分を健康にしよう、いい感じにしていこうと、
誰にほめられようとか、認めてもらおうといった見返りなど求めることもなく、
黙々と、淡々と、この瞬間もはたらいておるのです。
からだが老廃物や不要物を「わたし」からおもてに出し、
どこかが損なわれていれば修復し、
「わたし」にとってよいものを常に生み出し続ける素敵すぎる細胞のみんなのように、
頭のなかから、不要なものをすべて追い出そうじゃありませんか。
気づいたら追い出す、どんどん追い出す。
今年はそれを習慣にしてみてください。
わかっているけど難しい?
ではまず、その思考から捨てていってください。
からだは難しい、無理なんて思わずに、
いまも「わたし」をよい方向へ向かわせるようにはたらいているのだから。
自分の輪郭を、ちょっと感じてみてください。
どんな感じでしょうか。
からだの表面、皮膚に沿ってあるのか、
それとも物理的な肉体の外にあるからだ、オーラ、ライトボディに沿ってあるのか、
あるいはそのときによって収縮したり、
かたさが変わったり、ときには消えてしまったりするでしょうか。
自分の輪郭を意識してみると、
まず自分というもの、そして自分以外のものが同時に浮かび上がってくると思います。
自分って、どこからどこまでなのか、いったいどこにあり、どのくらいの大きさ、質量なのか。
これは観念的な話でも霊的な話でもなく、
またここからここまでが自分です! といった絶対や正解を求める問いかけでもありません。
もちろん、大きければいいとか、ほどほどがいちばんだとか、
自分と自分以外のものを比較したり競ったりするのでもありません。
たとえば、誰かとの関係性やできごとが好ましくないものだとして、
そのひとやそのことばかり考えたり、
そこに発生した好ましくない感情を抱き続けているとしたら、
そのとき、自分の輪郭はどんな状態でしょう。
あるいは、誰かを自分の好ましい状態に変えようとして、
あれこれ策を練ったりしているときの自分の輪郭、そして相手の輪郭はどうでしょう。
よく、誰かからの影響から逃れたい、避けたいといったご相談を受けますが、
自分をそうしたかたちで動かしたり守る必要はないのだということ。
自分と、自分以外のもの。
輪郭を超えない、超えさせないこと。
これをテーマにしてみてください。
自分、というものの揺るぎなさ。