一個前に書いたやつのなかの、
>受け取らないというのは、与えるひとを拒絶することでもあり、
>循環がそこで途切れてしまう。
という記述について、少々補足しといたほうがいいなと思い、書くことにします。
受け取ることが苦手なひとって、結構多いんじゃないかと思うんですが、その理由って、罪悪感とか自分は受け取る価値がないみたいな自己評価につながっていたりする。
で、与えるひとを拒絶することになる、と書いたけれども、そのことで、新たな罪悪感をつくってしまう可能性もあるなと思い、すでにそんなふうに感じた方がいらしたらすまん&自分を責めたりしないでね。というか、責める必要なんかないんですから、いつのときも。
直接リーディングさせていただいた方には、感情含めて、そうした捉え方についてもお話できるんですけど、不特定多数の場合、すべての方になるべく伝わるようにするのは、実のところ無理っちゃ無理なんですが、まあ難しい。自分としては漠とではあるけど、結構書いてるつもりでも、うわ、ぜんっぜん伝わってねー(笑)と思うことばっかりですから…。
で、受け取ることについて言いたかったのは、“与える”と“受け取る”はある意味セットであり、たとえば(無条件で)与える=喜び、ならば、受け取らないことで、循環が途切れてしまうんだと。
まあ、これでさえすでに物語へと続く思考なんだけれども、悪いだとかお返ししないと、とかあたりまえだとか、いろんな感情やら観念はいらないんだということ。
そして、「与えたいひとを拒絶することになる」。
これは、もしも罪悪感から受け取ってはいけないと思っているなら、与えようとしてるひとが与えることができなくなってしまうよという意味なんですけど、実際に、そのひとからは受け取りたくないんだよ、ということもあるんじゃないかと思うんですね。そのとき、なぜそう思うのか。そこをみていくといいですよね。ほんとは“そのひと自体”に何かがあるのではなく、もっと別のことなはずだから。
というわけで、少々ではなく長々と、になりましたけれども、感情も観念も物語もくっつける必要はないし、くっつけてもいい。そして、それでも依然として受け取れない自分でもほんとはなんの問題もないのだし、だからこそ受け取ることについても別に問題ではないのだ、ということなんですが、なんか、伝わる〜?
伝わるといいな。。
ということで、おやすみなさい。。