先日ある集いで、リーダー的立場のアメリカ人の方が、最近、特にこの一週間はこれでもか、と試されるようなことがとにかくたくさんあり、自分も含めとても苦しい時間を過ごしてるひとが結構いるので、今回はこの一週間についてシェアしましょうということになったんですけれども、参加者ほぼ全員がそれぞれの荒波に耐えていたとのこと。まさにわたしも先週、さすがにもうだめかな(笑)、という状況だったので、そうなのか、と思いましたが、そういった方、いらっしゃいますかね。
なんというか、これは自分という個的なことかな、と思ってたんですけど、やっぱり同じ過程にあるというか、ヴァイブレーションの近いひとは連動というか共振してるのかもね、と思います。人種もバックグラウンドによっていろいろ捉え方、感じ方がちがったりするけれども、ラベルをはがせばおんなじですもんね。
とにかく先週はほんとに無理…という状態で、特に精神面の消耗が激しいときに、サポートとしてつかっているフラワーエッセンスを先日ひさしぶりに選んでもらいに行ったのですが、ほんとはエッセンスも何も必要ない、つまり自分でやれるんだからもう来るな、というニュアンスですね、まるで追い立てられるような対応を受けまして(笑)、さらに弱って帰ってきたんですけれども(笑)、それはたしかにその通りで、本来何も必要はない。自分で気づいていくだけで、すべては在る。
わたし自身、カードが自分をしあわせにしてくれる、といった観念のもとに何度も続けてセッションにいらっしゃる方、依存しはじめてるなと思った方には、外=内に気づいていただけるようなセルフワークなどの宿題を出して、少なくともこれがわかるまで来ちゃだめです、とはっきり言うこともあります。
でもね、サポートが必要なときというのは間違いなくある。ひとりで立て直すのは難しい、というときが。
その日はほんとに弱っていて、結局選んでもらったエッセンスも、それ自体のヴァイブレーションは変わらなくても、なんかもう愛、とかも感じられず(笑)、全部自分、というのはわかってるけど、いまの自分は助けが必要なんだ! という思いに忠実に、後日、行ったことのなかったあるお店に行ってみたんですが、そこで出していただいたオイルを持った瞬間、涙があふれてきまして、お店じゃなかったらうぉんうぉん泣いてたと思うんですけど、すげえ元気出たよね(笑)。
結局、そのオイルにたどりつくプロセスだった、といえばそうかもしれないし、それがなくてもそのオイルに出会ったのかもしれない。
だいたいにおいて、ひとはそういう意味だったんだ! のような特別感を重視する気がするんですけど、重要なのは、起こったことそれ自体ではなくて、“自分はいまこう思ってるんだ”という声、そして“自分に正直である”ということ。
メディスンカードにはバッファローのカードがあるんですけど、これはまさに今回のことだなと思います。
必要なときに助けを求めることを自分に許していいのだということ。
自分の道、他人の道、いずれをもジャッジせず、
それぞれの“真実”を受け容れるということ。
“祈り”とは求めること。
求めにこたえ与えられることのよろこび、
与えられ、受け取ることのよろこび、
与え、受け取るという流れを止めず、その循環に参加すること、
それこそが豊かさなのだということ。
ひとはすべからく、与えられるものをもってる。
それは物理的なものかもしれないし、絵や音楽やほかの何か、おいしいごはんをつくること、誰かのかわりに書類をつくったり計算をしたり、何か手伝ったりすること、
あるいはたったひとつの言葉や、そっと手を握ってあげること、ただ微笑むことかもしれない。
そこにあるのは、やはり自分をというものを還元すること、
つまり愛なんだとおもいます。
無理に与えたりしなくていいし、
つらいときは求めていい。
なんでひとにたよっちゃいけない、なんておもうんでしょう。
まわりには、とてもたくさんの手があるのに。
そのときに、求めたい誰かがどうあろうと、
自分の正直さを尊重するように、その誰かの自由を尊重すること。
徹底的に自分に正直であって、自由という観念さえ放り出す自由を許していたら、まず依存は起こらないし、
というか、愛しか残らないでしょうな。。
わたしも、ほんとうに、すごいたくさんのちからを借していただいてます。
弱音吐いたらいいじゃん。
そして愛があふれてきたら、還していったらいいですよね。
そんなわけで、長々とありがとうございます。
東京は台風っぽいですけど、嵐は過ぎ去りますし、
渦中を楽しんでいきたいとおもいます。
また近々☆
ありがとね☆