こんにちは。
旅から戻り、早速東京の時間にも戻ってしまってますが、
みなさまご機嫌どうですかね。
なんというか、今回の旅はヒジョォ〜にきびしくてですね、もちろん楽しいこともあり素敵な場所へも行きおいしいものも食べ癒されもし、とにかくかけねなしに濃厚な時間でしたけれども、これも流れの一風景、そして物語というのはほんとうにほんとうにすごいリアリティというかね、距離をとるも何も完全に一員となって揉まれてしまって、そりゃ頭でいくらわかってたって難しいよねとあらためておもう今日このごろですが、苦しいときほどチャンス、とよくいわれますけどほんとにそうだとおもう。
みないふりしたり誰かや何かのせいにし続ける限り、ほんとの意味での安心にはつながらないんですよね。サシで向き合わないと。
ときどき、やっぱり苦しいこととかあるんですか、とか言われるんですけど、もうだめかもーとおもうことも、全部ぶっ飛ばしたくなることもありますし(笑)、でも厳密にいえば、「もうだめかも、とおもうくらいつらいんだなー」とか「ぶっ飛ばしたくなるくらい許せないんだなー」と、そんな自分を“みて”ますね、というか、何を思おうが感じようが自由にさせてやる。だって、そう思ったり感じたりしちゃうんだもん。それをよくない、と抑圧しようとする自分をもみててやる。
そしてなぜ抑圧しようとするのか、そこにある「〜だから」という嘘を見抜いていくということ。
たとえばヒーリングやワークをしていろいろ解放したり、いわゆる悟りというものが起こったとしても、いろんなできごとは起こるし、感情も消えるわけではないんですよね、人間だもの。
ただ、それをどうとらえるか、つまり認識の仕方が変わることで世界が変わる。
って、ほんとは先日行ってきた三重県鈴鹿の椿大神社のことを書こうと思ったので書きます!
今回でたぶん4回目くらいだとおもうんですけど、とにかく安らぎますし、ふところが深いなーとおもいます。それでいて凛として、どこかしれっ、とした感じもあり、こまけえことはいいんだよ、っていうかね(笑)。
で、本殿もさることながら、もう女性性全開こんこんとわきでる愛の泉、別宮の天之鈿女命のお社がほんとにいいです。特に女子、行ったらいいとおもう。
みんな感じ方はそれぞれなんで、パワースポットがどうとかさ、こう感じないといけないとか、何も感じなかったからだめだとかそんなんじゃなくてさ、そんな“頭の動き”とめて“場”そのものを感じる、いや感じようとさえする必要もないです。ただそこに居たらいい。
そして以前は看板がなかったと思うんですけど、椿立雲龍神社という小さなお社、そこも行ったらいいです。感じても感じなくてもいいの。ただぽかーん、と自分空っぽにしたらいいです。あくまでもわたしの感想としては、ここはダイレクトに“自分とは誰か”を教えてくれるところ、って感じ。なんか具体的なメッセージ、とかじゃないですよ、でもそういうのを受け取るひともいるのかもしれないですね、自分、自分の感覚で!
その翌々日には伊勢神宮〜天岩戸〜猿田彦神社へ行きましたが、やっぱり自分のここちいいとこみつけてくのがいちばんだし、ヴァイブレーションだよね、みたいな感じですけど、言葉にすると全然とらえられないよね。。
というわけで、なんだかんだいって旅はいいし、リーディング・セッションの受付も再開してますので、何かあればメールいただければとおもいます。