こんばんは。
9月に入りましたね。
先月、伊勢から東京に戻ってきた途端、いろいろ動きがあって、ほんと変化は一瞬ですな、あまりにもあっけなく長年続いてきたことが昇華されてしまったようで、なんかぽかん、としつつ暮らしてるんですけども、先日、近所の川べりを歩いていると、こうもりが頭のうえを旋回しながらずーっとついてきたんですよね、で、それが2になり3に増え、なんというか、祝福されてる感じがしたんです。で、これはもうメディスンだなと。
さらに翌日は自転車で走っていると、前方から蝶が1、目の前まできてさっと避け、また別の蝶、また別の蝶、と連続で3やって来まして、ああこれもメディスンだな、と。
というわけで、「rebirth、再誕生、transformation、変容」。
変わりたい、と思うとき、ひとはだいたいにおいて、目の前の風景がまったく別のものに、できれば一瞬にして変化することを願っている気がします。
突然“いい話”がやってくるとか、勝手に周囲が変わってくれるよう、“外側”に変化を求める、自分はけしてそこから動こうとはせずに。
そう、ひとって、このままでは嫌だ、変わりたい、と思いながらも、結局同じ考え方、同じ反応、同じ視点、つまり“変わっていない自分”という立ち位置で「それ」に対してるんですよね、そりゃあ変わらんよ、と。
新しい状況、新しい自分になりたいのなら、古い自分を続けるのをここできっぱりとやめよう。考え方、反応の仕方、いままこうしてきた、というそのやり方、セオリーを捨てて、新たな層へシフトする。
変容、というのは、何か別のものに置き換える、チェンジする、という概念ではなく、かたち、質、そのものが変化(へんげ)していくことです。
蝶をみてください。卵、幼虫、蛹、成虫と、まったくちがう姿形にメタモルフォセスしていきます。まるで、いままでの自分など存在しなかったかのような変わりっぷり、けれど、そのどれもが自分…。
わかっていても難しい、という考え方、それはひとつの、なんというか、ぶっちゃっけ、非常にありがちな、それこそが使い古されたひとつの思考、誰かの台詞でしかないです。そう、自分のほんとうの言葉でさえない。
変容って、自分それ自体の表現なんじゃないかという気がします。
次々に姿を変えてゆく自分を、なんやかんやと理由や条件をつけてとどめておこうとさえしなければ、勝手に開かれていくんじゃないですかね。
そんなわけで、素敵な9月を、週末を☆
いつもありがとう!