編集のほうの軟禁仕事がきのうひと区切りで今日はお休みだったのですが、ひさびさに絵巻物のような夢をみて起きたのが午後2時くらい、まだぼんやりしてるのですがこれからの何かと忘備録をかねて、ざっくり内容を書いておこうとおもいます(わたしにしか役に立たないとおもうけれども)。
とにかく生きてるひと死んでるひとがいっぱい出てきて、象徴的だったのは、死んでいるひとは全員知らない方々、生きてるひとは全員知ってるひとたちだったこと。
夢なので場面構成も物理的なこの世界とはちがうし時間軸も三次元制ではないため説明が難しいのですが、メインのストーリーは、不遇の死をとげた見知らぬ女性が7人くらい出てきて、それぞれのなくなったときの様子や現在の思いなどを語る、という感じ。
山間の村に暮らしていた年配の女性は、毎年あるお祭りを楽しみにしているとのこと。おみやげ屋さんで働いていたわたしよりも若い女性は家族が心配だと言ってました。
合間に見知らぬ泥酔した男性が何人かあらわれてお酒をすすめてくるのですが、それはうざかったな(笑)。
そして最近会ってない女子の知り合いがごはんをつくってもってきてくれて、それをいただきながら普段よく会う友人たちも悩みを打ち明けてきたり、また死んだひとが語りはじめたりの繰り返しで、何度も起きたかったんですけど全然起きられず、知り合いの男子がまさにブレイク、という感じでコーヒーをいれてくれて、それでやっと起きることができました(笑)。
そういえば、もうひとりコーヒーをいれてくれたひとがいたな、そのひとは生きてるひとで、面識はないのだけどわたしを知ってると言ってた。わたしは一方的に知ってるだけだと思ってたので驚いたしうれしかったです。やがて実際に会うことになるのかな、興味深いです。
普段から夢は結構すごくて具体的なメッセージやキリストとかマリアとかアマテラスとか出てくることもあるのですが、今回みたいなのはちょっとはじめてですね。
でも、ここから読み解けることもあって、自分の今後についての示唆を感じます。まあ、楽しみですな。
そんな9月のはじまりですけど、感情の極端なアップダウンや体調不良、突然吐いたりするひととか、揺さぶりかかってるひとが結構いるようですね。
わたしも先週とか古い怒りやいろいろ出てきてまいったな、という感じでしたけど、一連の諸々はもう手放すべきもの、つまり自分ではないものすべてが振り落とされてくような、落とせといわれているような、何かそんなイメージがあります。そう、手放していかないとむしろ苦しい。
それはいままで自分を守ったり原動力になってたような気がしてるけども、ほんとはそれらがないほうがおだやかで、スムーズにいろんなことが運ばれてくんですよね。この前も書きましたけど、やっぱり「変化を歓迎する」ことですな。だいたいにおいてひとは変わりたいと思うとき、自分ではなく誰かや何かのほうを変えようとしちゃうんですよね。でもそれは無理であり逆に難しい。というか、そこにしがみついてしまうのね、だから動かない。
と、長くなったのでこのへんで、なのですが、
わたし個人の9月って、命日も誕生日も多いしさよならしたり出会ったりと、むかしから終わりとはじまりというか、これからの何かについての印象的なトピックがとても多い月なので、なんか今日の夢はうつつ、という感じでどきどきしながらとりあえずお風呂に入ろうと思います。
これからも安定したりしなかったり、環境とか結構大きく変化したりと諸々あるかもですけど、それでも絶対に動かない不動さ、に気づくというか、とどまる感じでいくといいと思います&食べものとかも意識するといいかも。
それではまた。
素敵な9月を〜☆