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続・食べもののこと
 
先日書いた食べもののことについてメールなどいただきましたので、またちょっと書いてみます。

まず、逆にジャンクな感じのものばかり食べたくなっているような気がする、というひと。
これは先日、リーディングのご相談でいらした方もおっしゃっていたし、友人知人でもいますけど、なぜ食べたいのか、食べたがっているのは誰なのか、じゃないですかね。

たとえばジャンクフードとか、化学調味料や添加物がたくさん入った食べものとか、特にうたがうこともなくスーパーマーケットに並んでいて、それらがある意味スタンダードだからこそ、無農薬とか有機、といったカテゴリーがわざわざつくられるわけですよね。
だって全部並列だったら、化学調味料入り、とか、防腐剤入り、とか着色料(化学)、着色料(野菜/果物)、とかのプレートもできるよね。

つまり特に疑問のわく余地もなくあたりまえのものとして選んで食べてる。
これは食べものに限らずきまりだとか常識といったものの考え方や価値観、感じ方、あらゆることがそうで、もはや自動反応なので立ち止まることもなく受け容れてる。

そうした無意識、無自覚の基準での選び方が基本であれば、気づかなくてもおかしくないんですよね。
ヒーリングとか占いとかワーカーのひとで、マクロビやビーガンのこととか知らないひとがときどきいてびっくりするのですが、これはそういうことをしてるひとは実践していないにしても知識として知ってるだろう、というわたしの思い込みなんですな。。

で、ジャンクフードみたいなものを食べたくなる、についてですけど、ひとつはたとえば普段、自然食がメインなひとが急にそうなった、っていうのと、無意識とはいえ化学調味料が結構入ってたりするものを食べてるひとのそれっていうのとは、またちょっとちがうのかもしれない、ということ。

これは実際、表示みてみないとわからないですけど、「ジャンク」というカテゴリーに入ってるものと普段食べてるものの成分、あんまり変わらない可能性もありますよね。

ここ、面白いとこだと思うんですけど、あえて「ジャンク」と名づけられている、というだけで、「身体によくないもの」というすりこみがあって、それが思い込みになる。これってむしろ、その思い込みのストレスが身体によくない指数を明らかに上げてると思う。
だって、「身体によくないもの」を“自覚的に”食べるわけでしょ。合意だもんね。

で、さらにそこに「罪悪感」が添加される。
つまり、実際の成分だけでみるのも、またちがいますよね。

ちょっと長くなってきたので次回に分けようかな。

ちなみにわたしは意図的に完全ビーガン週間を設けたり、思いつくまま食べたり、フルーツメインにしたり、メッセージにしたがって食べたり、といろいろです。
もちろん、アイスもポテトチップスもドクターペッパーも欲しいときは飲み食いしますよん。

というわけで、これから晩ごはんのおかずを買いに行きます。
何を食べるかは行ってから決めたいとおもいます。

では、またやがて続きを書きますね。
おいしい晩ごはんにありつけますように☆








| text | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
食べもののこと
 
前回、食べもののことも意識するといいかも、と書きましたが、きのう、いままでときどき飲んでいた市販のフルーツジュース(いちおう100%)が急に飲めなくなり、びっくりしています。
いや、もう口に入るごとに申しわけないけれども気持ちがわるくなってしまって、ほんとにつらくて飲めなくて。

去年くらいから急に食べられなくなったものとか小麦のこととか友人知人の間でたびたび話に出ていて、特に今年に入ってから小麦を食べるのをやめたひとが何人かいたりもして、体調のわるさもなんかいままでとちがうしどうなるのかしらねーなんて言ってたのですが、ここ数日、また急にあれやこれやが食べられなくなったみたいな話やメールが立て続けにきたりして、やっぱりエネルギーの動きがすごいんだなと。

わたしも今年、あるワークの最中に小麦グルテンはだいじょうぶだけどパンがNG、あと市販のおやつは食べちゃだめと言われてたいへんショックで、でも全部やめるとストレスになるので減らしたりしてたんですよね。

で、これまでも急にまったく肉が食べられなくなったりコーヒーが飲めなくなったことがあるのですが(いまはコーヒーはOK、肉は波あり)、きのうのジュースはまたかなりショックで、もうこうしたものも自分でつくらないとだめなのだろうか…と思い、夕方しょうがとライムとはちみつを買いに行って、むかしジャマイカ人の知人に教わったジンジャーエールをひさびさにつくりました。





なんだろうな、味つけはきび砂糖とはちみつだけなんですけど、すいすい飲める、これは自然のものだからこそなんですかね。
きれいに撮れてないのでわかりづらいですが、新しょうがをつかったので、ピンクグレープフルーツみたいな色できれいなのです。そこもうれしい。

おいしいのでいま2杯目に入りましたが、全部自然のものに移行するのもなかなかたいへんだしなんかつまらないし、でも身体がNOだったらどうしようもないし、まあそれこそ自然にしたがって選んでくしかないわけですけど、きっとこれからもっとそうなってくんだろうなーなんて思ったりしてます。

たとえばこれは自然だからとか身体にいいからって頭で選んじゃうのは結局エゴのすることなので、完璧にいいかといえばそんなこともないと思うんですけど(特に玄米とかね)、だからなおさら身体の反応が大事になってくんでしょうね。

どっちにしても、あんまりおいしくないものをがんばって食べるのはやだな。
おいしく楽しく食べたいですな。

というわけでまた。
諸々気づかいつつここちよい毎日を☆





| text | 01:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日の夢と9月
 
編集のほうの軟禁仕事がきのうひと区切りで今日はお休みだったのですが、ひさびさに絵巻物のような夢をみて起きたのが午後2時くらい、まだぼんやりしてるのですがこれからの何かと忘備録をかねて、ざっくり内容を書いておこうとおもいます(わたしにしか役に立たないとおもうけれども)。

とにかく生きてるひと死んでるひとがいっぱい出てきて、象徴的だったのは、死んでいるひとは全員知らない方々、生きてるひとは全員知ってるひとたちだったこと。

夢なので場面構成も物理的なこの世界とはちがうし時間軸も三次元制ではないため説明が難しいのですが、メインのストーリーは、不遇の死をとげた見知らぬ女性が7人くらい出てきて、それぞれのなくなったときの様子や現在の思いなどを語る、という感じ。

山間の村に暮らしていた年配の女性は、毎年あるお祭りを楽しみにしているとのこと。おみやげ屋さんで働いていたわたしよりも若い女性は家族が心配だと言ってました。
合間に見知らぬ泥酔した男性が何人かあらわれてお酒をすすめてくるのですが、それはうざかったな(笑)。

そして最近会ってない女子の知り合いがごはんをつくってもってきてくれて、それをいただきながら普段よく会う友人たちも悩みを打ち明けてきたり、また死んだひとが語りはじめたりの繰り返しで、何度も起きたかったんですけど全然起きられず、知り合いの男子がまさにブレイク、という感じでコーヒーをいれてくれて、それでやっと起きることができました(笑)。

そういえば、もうひとりコーヒーをいれてくれたひとがいたな、そのひとは生きてるひとで、面識はないのだけどわたしを知ってると言ってた。わたしは一方的に知ってるだけだと思ってたので驚いたしうれしかったです。やがて実際に会うことになるのかな、興味深いです。

普段から夢は結構すごくて具体的なメッセージやキリストとかマリアとかアマテラスとか出てくることもあるのですが、今回みたいなのはちょっとはじめてですね。
でも、ここから読み解けることもあって、自分の今後についての示唆を感じます。まあ、楽しみですな。

そんな9月のはじまりですけど、感情の極端なアップダウンや体調不良、突然吐いたりするひととか、揺さぶりかかってるひとが結構いるようですね。
わたしも先週とか古い怒りやいろいろ出てきてまいったな、という感じでしたけど、一連の諸々はもう手放すべきもの、つまり自分ではないものすべてが振り落とされてくような、落とせといわれているような、何かそんなイメージがあります。そう、手放していかないとむしろ苦しい。

それはいままで自分を守ったり原動力になってたような気がしてるけども、ほんとはそれらがないほうがおだやかで、スムーズにいろんなことが運ばれてくんですよね。この前も書きましたけど、やっぱり「変化を歓迎する」ことですな。だいたいにおいてひとは変わりたいと思うとき、自分ではなく誰かや何かのほうを変えようとしちゃうんですよね。でもそれは無理であり逆に難しい。というか、そこにしがみついてしまうのね、だから動かない。

と、長くなったのでこのへんで、なのですが、
わたし個人の9月って、命日も誕生日も多いしさよならしたり出会ったりと、むかしから終わりとはじまりというか、これからの何かについての印象的なトピックがとても多い月なので、なんか今日の夢はうつつ、という感じでどきどきしながらとりあえずお風呂に入ろうと思います。

これからも安定したりしなかったり、環境とか結構大きく変化したりと諸々あるかもですけど、それでも絶対に動かない不動さ、に気づくというか、とどまる感じでいくといいと思います&食べものとかも意識するといいかも。

それではまた。
素敵な9月を〜☆






| text | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
9月。
 
まずはフラワーエッセンスのキャンペーン、ありがとうございました。
9月になりましたので終了いたします。

なんか、感想とか気づいたことなどを拝見していると、たとえば根本的なところは同じでも、言葉である程度サポートしたほうがいいなと思う方や、とりあえずご自分で感じてもらおう等々それぞれで、どちらにしても、とにかく思い込みはずしてジャッジせずゆだねてみてね、なんですけど、ついもうひとこと付け足したくなってしまってよくないなとずっと思っていたので、今回はメッセージのテキスト以外、ちょっとそっけないかも、と思われるかもなくらいの感じでやりとりすることにしてました。

やはり、テキストのみでのこうしたやりとりは情報量含め、思っていることわかっていることの確認などどうしても限界があるので、ご自分のプロセスに関する疑問やご質問などある方は、カウンセリングを申し込んでいただくといいと思います。


さて、9月に入りましたな。

8月はほんとにジェットコースターに乗ってるみたいなひともいたし、わたしは先月からとにかく新旧各エリア各層のひとたちに思いがけず結構まんべんなく会えたなあという感じで面白かったです。

意図したわけじゃないのにそこに行ったらいた、という会い方のひとがわりといて、ああこの局面でこのひとに会うんだ、わー、そして、つ・づ・く、みたいな伏線感もありました。自分もっと開けてかないとね、という感じです。

あと、いままでちゃんと話したことがなくて話せてすごいうれしかったなーもっと話してみたいなーというひととか。

そして8月31日、9月1日は個人的なトピックをはじめ、いい意味でもわるい意味でも面白いというか興味深いというか感慨深いなと感じました。

特にきのうは、ああ新旧さらにはっきりしたな、と。
ここからまたわかれてくんだなーと。

さよならするひとも増えるかもだし、住み慣れた場所は多少つらくてもなんだかんだいってらくかもですけど、そこに安住はもうできない…っていちばん感じてるのは自分だと思うのです。

まあ、今月もいろいろだと思いますが、自分はどう在りたいのか、来月もその次もそのまた次の月も、結局そこなんだと思います。
テーマは不安もこわさもすごいあるかもだけどどっちにしても「変化を歓迎する」という感じですかね。
ひっぱられてもぶっち切っていく気合いと勇気。

ほんとはがんばらなくてもいいんだけども、ボートの方向を変えるときにはオールに入れるちから、結構強く必要だよね、みたいな感じで。

というわけで、また。
とりあえず体調など気づかいつつ。。








| text | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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