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「対」と「男女」と「男性性女性性」についてのメモ

これから仕事で外出なんですけど、ブレスワークの感想ほかせめて下書きだけでも、、と思ってひさびさにブログにアクセスして、前回書いたやつを読んでみたら、ふと思うことがあったので、忘れないように自分へのメモとして&そんなわけで文章にできるほど落とし込めないけどどなたかへのヒントになるかも、ということでわかりにくくざっくりと。

早速、前回、都知事選のことを通してちょっと書いた「対」について。
何かへの「対」、「反」でもいいんですけども、なぜこれが起こってくるか、そもそもそれが二元なわけですが、けれどもこれはエネルギーとしてみるならば、ひとつに戻ろうとするちからなんだよね、ということ。

つまり、概念とか観念とか信念とか感情とかが介在することによって、そうした対立構造のストーリーにあっけなくなると。
というか、対とか反として起こってくる何か、これもエネルギーでしかないのだけれど、心情としての「動機」、これがそもそも二元に由来しているわけで、するとどうしても「戦」とか「争」といった次のストーリーへと展開されていくんですよね(というか、相手を倒さんとする動き、これはエゴ/マインドによるものですが、それだけだと言い切れるのかな、どうだろう、でも思考というエネルギーが引き起こす新たなエネルギーの発生という点では、やっぱりエゴが発端よね、というかつまりすべてはここに集約されますよね、エネルギーとしての動きとエゴ/マインドによる解釈ということ)。

とにかく起こってくるすべてのできごとには、人間の頭で考える常識的な概念、観念、信念、感情を呼び起こすストーリーとはまったく関係なく、ただ起こることが起こっているだけで、あらゆることは人間の頭が解釈したり想像したりして判断することによって、人間の思い感じる「できごと」に変換されるだけなのだ、とあらためて。


それともうひとつ。 ひとというかすべての命あるもの、としますが、とにかくわたしたちは何もせず、ただ存在するだけでいい、ということ、について。

もうこの文言自体にいろいろあるわけですけど(この文言の視線、背景にあるストーリーということ)、 それを抜きにしてもそうなんだと。

そのことを理解するのに、特に女性について、女性性と呼ばれるものの定義(潜在意識とか直観とか右脳的な性質など)を実生活に置き換えてみるとわかりやすくなるかも、ということ(すんません、ここほんとに自分用のメモです、機会があったら文章に落とし込みます)。

同時に男性というもの。この「男」と「女」と「男性性」と「女性性」、その両方を実生活に置き換えること、そしてこれもまた「対」についてのことなのかも(たぶん)。

と、「“わたしの”夏休み自由研究」のテーマという感じで、とりあえず時間切れなのでここまでで&ほんとに自分へのメモなので、薄ぼんやり受け取ってくださいませ。。でも響くものがあったら、それはたぶんほんとのこと!


ではではみなさま、熱中症などに気をつけつつ、
楽しい週末を☆


あ、フラワーエッセンスのお申し込み、再開してます。
そしてgmailの方、また届いてない報告ありましたので、
ご確認をよろしくです!


| text | 12:50 | comments(0) | - |
都知事選とアーユルヴェーダの目薬

きのうは都知事選挙でしたけど、結果について一瞬気持ちが重たくなり、それにともなってちょっと不安が出てきたりしたのですが、ああまだこんな不安をもっていたんだなとリリースして気分を切り替え、今朝起きて、参院選のときとの空気感のちがいとか情報のことなど自分なりに考えたりして思ったのは、なんか、やっぱり、「対」ってあんまりよくないんじゃないのか、と。

何かが起こって、それがあきらかにだめなことだとして、それとは反対のことをしよう、という在り方。
それが悪いとかだめというんじゃないし、何が起点となるかは全然問題ではないと思うのですが、
現状を起点としたとしても、それに対するというよりも、ある意味そうした土台関係なしにどう在りたいか。

なんというか、そこにしかほんとの訴求力ってないんじゃないかな、と思ったりしました。

そう、新しいこと、希望みたいなものがみえてこないんですよね、
「対」には。

って、これは政治的なことだけじゃなくて、全然身近な日常のことです。
というか、その規模や種類に関係なく、あらゆることはあらゆることに投影、置き換えられるわけで、というか、もっと身近な自分のことにたとえてみるのがいちばんわかりやすいし簡単だし、それでしかないよね。

なんてことを、実は今朝早く目が覚めてしまって考えてみたりしたので、めずらしく午前中から書いてるのですが、ほんとは別のことを書くつもりで、それはアーユルヴェーダの目薬のこと。

これは選挙に対する投影でも置き換えでもなんでもなくて恐縮なんですけど(笑)、先日ひさびさに思い立って癒しフェアに行ってみたんです、けれどもなんか健康機器とか団体ばっかり目について、個人とか小規模のブースがあんまりなく残念だったなと。

前に行ったとき、たしかアフリカ人のひとのお茶屋さんとか、あとはケルト関係だと思うんですけど、手作りのワンドとか木切れみたいなものでリーディングしてたりとか、普段、目にしないものとかをみられるのが面白かったのに、そういう感じの出店がほぼなくて、あんまり楽しくなく。。

とりあえずお世話になっていたエッセンスのブースに寄ったり、ぶらぶらしていると、ネトラバスティをやっているブースを発見、わたしは慢性的な眼精疲労で、ひどいと連日頭痛になったりするのですが、決定的な対策がいまだみつからず。アーユルヴェーダの施術は食事も含めて受けたりはしていたものの、ネトラバスティをためしたことはなかったのです。

でも、ちょっと横になって、目にギー注がれてオッケーな恰好ではなかったのでどうしよう、、と思っていたところ、目薬があるのを発見、ためしてみませんか、ということでトライ。

成分がはちみつやハーブ、岩塩とのことで、茶色でどろっとしています。
結構沁みますよ、と言われてたしかに痛かったのですが、耐えられないほどではないし、時間が経つとすっきりしてきたので、とりあえず買ってみました。

で、家に帰ってネットで調べてみたところ、いくつか種類があって、ちょっとずつ効果がちがったりと、それぞれ特徴があるんですね、ただ総じてほとんどが劇沁みとか、ものすごく痛いと書かれてあって、いやそこまでじゃなかったよ、と思ったのですが買ったやつをさしてみるとめっっっっっちゃめちゃ痛い、 沁みる、じゃなく痛い、 大げさじゃなく痛い。

たぶんお店のやつは開封して時間が経っていたからじゃないかと思うのですが、ただただ痛いとしか言いようがないくらい痛い(笑)。そう、笑いが出てしまうほどに痛いのです。

涙ぽろぽろ、細菌などがいっしょに出てくるとのことなのですが、ネットの経験談にあったように、痛みがおさまるとたしかにすっきり、ちょっとこう、筋肉がゆるむ感じで、かすみもとれてくる気がする。

で、これ、たとえばすごい怒りがわいてきたときとかイライラするとき、あるいは気分が重たいとき、やる気がいまひとつ出ないとき、さしてみるといいんじゃないかと。
なぜならもう、痛くてしばらく動けず、思考も停止、ただじっとしてしまう、ほかに何もできないんですね(笑)。

ものすごい荒療治ですが、有無を言わせず頭を黙らせ感情を解放もさせ、しかも目にイイ。

ということで、ほんとうに痛い&しばらくべたべたしますが、視力が上がる効果もあるようなので、興味のある方はためしてみてください。





画像は癒しフェアでの戦利品、セージと梅もなかと、ためしてみなさいな、とおじいさんがくれたいちおう売り物の梅エキス、そして目薬です。
目薬は「アーユルヴェーダ」「目薬」で検索すると出てきます。ちなみにこれはエラニールクザンプというやつです。痛くないものもあるようです。

というわけで、また。

あ、最近また特にgmailへのメールが届かないということが起こっています。
もしもこちらからの返信が届いてないよ、という方、迷惑メールのフォルダを確認してみてください。

それでも来てないという方、再度ご連絡くださいませ。
お手数ですが、よろしくお願いいたします。


ではでは、おっと今日から8月!
目の前の何かがどうであれ、いい感じの月になりますよう☆




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